本の覚書

本と語学のはなし

2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧

振り返る5月

5月に読んだ本 (1) キリスト者の自由・聖書への序言/マルティン・ルター (2) スピノザ 無神論者は宗教を肯定できるか/上野修 (3) イエスという経験/大貫隆 振り返る5月 世の中が浮かれている時ほど忙しい。連休中は体力を消耗した。 それでも少し復活の…

購入5-3

多木浩二『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』(岩波現代文庫)。 正直言うと私は全くベンヤミンを知らない。名前くらいは知っている。独文時代に授業で短い文章を読んで、ドイツ語も内容も訳が分からなかったという経験もある。先生に君はベンヤミ…

イエスという経験/大貫隆

なぜ史的イエスを学ぶのか 史的イエスを問うことはキリスト者であることと両立可能だろうか。 大貫は原理主義に抗してこの本を書き始めた。キリスト教の「標準文法」の運用は、「標準文法」そのものからは導き出されない。「標準文法」の根拠づけの関連の解…

購入5-2

カード払いの都合もあって、本の発注はだいたい月の半ば過ぎにする。古本が多いとはいえ、今月は買いすぎたようだ。 スピノザ スピノザ『エティカ』(中公クラシックス)。昔中公バックスで持っていたが、手放してしまった。岩波文庫と中公クラシックスのど…

神の国2

赤鉛筆 今、大貫隆の『イエスという経験』(岩波書店)という本を読んでいる。 最近は後で古本屋に売る可能性のことも考え、本に書き込みをすることはなかったのだが、付箋で済まそうとすると付箋だらけで訳の分からないことになりそうだったので、赤鉛筆で…

『モモ』を再開してみる

悪い癖だ。余裕はないはずなのに、また一つ負担を増やしてしまう。 どうしてもドイツ語に触れておきたいというのであれば、カール・バルトなどに挑戦してみればよいのだが、手持ちの原書の中から一番読みやすそうなものに流れてしまった。 Der Maurer, der k…

スピノザ 無神論者は宗教を肯定できるか/上野修

珍しい『神学・政治論』入門 上野修はNHK出版の「哲学のエッセンス」シリーズの執筆依頼を受けた時、既に『スピノザの世界 神あるいは自然』(講談社現代新書)を書き始めていた。こちらはスピノザの表玄関ともいうべき『エチカ』を扱っている。だから、異例…

『告白』を再開してみる

ヴルガータ訳を参照しないとラテン語に触れる機会が全くない。そこでアウグスティヌスの『告白』を以前中断したところから再開してみた。 語学的に難しいということはないのだが、ややこしい問題を扱うこともあるので、少し混乱したりする。老衰を言い訳にし…

神の国

先日読んだマタイの一節より。 ἀπὸ δὲ τῶν ἡμερῶν Ἰωάννου τοῦ βαπτιστοῦ ἕως ἄρτι ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν βιάζεται καὶ βιασταὶ ἁρπάζουσιν αὐτήν. (Mt 11:12) バプテスマのヨハネの時より今に至るまで、天国は烈(はげ)しく攻めらる、烈しく攻むる者はこ…

購入5-1

土井正興『イエス・キリスト』(三一書房)。 田川建三は『イエスという男』(未読だが)を書くにあたり、ブルトマンの『イエス』、八木誠一の『イエス』、そして土井正興の『イエス・キリスト』に描かれる「イエス」を対話相手に選んだ。 前二者については…

キリスト者の自由・聖書への序言/マルティン・ルター

キリスト者の自由 最初に2つの命題が掲げられる。 キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない。 キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、何人にも従属する。 前者は、キリスト者は「内の人」としては、ただ信仰によ…