Il me semble que, considerant la foiblesse de nostre vie, et à combien d'escueils ordinaires et naturels elle est exposée, on n'en devroit pas faire si grande part à la naissance, à l'oisiveté, et à l'apprentissage. (p.328)
われわれの生命がはかないものであって、日常的に、ごく自然に、多くの危険にさらされていることを考えると、誕生と、暇な時間と、修行に、人生のあれほどの部分をさくべきではないようにも思われるのだが。(p.351)
第1巻最後の文。
「誕生」とは何だろう。子作りのことだろうか。「暇な時間」は無為のこととも考えられるが、ラテン語のotiumのごとく、「勉学」のニュアンスが含まれるのではないかと、宮下は考える。
すると、ネサンス、オワジヴテ、アプレンティサジュというのは、誕生から、勉強、見習いへと、一人前になるまでの時間の経過を表しているのかもしれない。
われわれはもっと早く社会的に認められてよいというのが、この章の主張の一つであった。
パソコンが満足に動いてくれないので、仕事のある日は開かなくなった。
今後、このブログを更新していくかどうか、わからない。