本の覚書

本と語学のはなし

座右のゲーテ/齋藤孝

 エッカーマンの『ゲーテとの対話』とゲーテの『箴言省察』の言葉を解説したもの。
 なぜか後者の書名は一度も触れられない。潮出版社の全集第13巻とあるだけだが、巻末の引用元から辿ると、該当ページはこの格言集に当てられている。


 解説と言っても、齋藤孝が思いっきり自分に引き寄せて咀嚼したものであるから、ゲーテの解説というよりは、そこから引き出した著者なりの上達の哲学を開陳したものである。
 したがって、最初にゲーテの言葉を引用した後は、だいぶゲーテから離れてしまう。ほとんど枕のようなものである。それは齋藤孝にとってゲーテが既に彼の血肉と化しているということなのかもしれない。
 だが、物足りないといえば物足りない。私がこの本に見出すのは齋藤孝であって、ゲーテを読む楽しみについては教えるところが少ないように思われるからだ。

 普段から言葉の端々にゲーテの言葉を引用できるようになると、それはまさにゲーテという遺産を受け継いだことになる。ゲーテほどの遺産を受け継いでいるとなると、かなり大きいものを受け取った気がする。シラーでも結構いいが、やはりゲーテの方が遺産としては大きいように思う。私とゲーテの関係は、血縁でも何でもないが、これだけ彼の言葉が血肉になっていると、もはや血がつながっているかのように思えてしまう。(p.93)

初めから解ける数学Ⅰ・A/馬場敬之

 マセマのシリーズの中では一番基礎的な問題集。
 ひねった問題はないけれど、おのずと得手不得手はある。統計とか幾何とかは、どうも苦手だし、好きになれない。
 これまで数学を学び直すことはあっても、問題をしかっり解くことまではしていなかった。それではなかなか身につかない。今回は時間がかかってもよいので、下のレベルから順番に、参考書も問題集も手を動かして読みかつ理解することにする。

現時点での最新版

ゲーテ格言集/高橋健二編訳

 ゲーテにははじめから格言として書かれた詩や散文がたくさんあり、この本に収められた言葉の半分はそうした格言集から採られている。後の半分は、詩、戯曲、小説、手紙、対話などの中から。
 高校生の時に初めて読んだ。深く共感した。たぶん「没我」の思想の故である。

私が特にスピノザにひきつけられたのは、その一句一句から無際限な没我主義が輝き出ていたからである。「真に神を愛するものは、神からも愛されることを願ってはならない」というあの感嘆すべきことばは、その一切の前提と、それから生ずる一切の帰結と共に、私の瞑想をくまなく満たした。何事にかけても没我的であること、愛と友情にかけて最も没我的であること、それは私の最高の喜びであり、私の格言であり、私の実行であった。それゆえ、「私がお前を愛したところで、お前に何のかかわりがあろう」という後年の大胆なことばは全く私の衷心からの声だった。(p.129-30, 『詩と真実』第3部第14巻から)

 今回は何度目かの再読である。共感もすれば反発もする。私にも書けそうだと思ったり(名人の仕事はやさしそうに見えて、とうてい真似のできぬものではあるが)、社会への没我が私にはあまり向いていないようだと考えたり。
 没我が女性に適用されるとき、必然的に伝統的な家庭での役割が最善のものとして与えられる。家庭の支配ということに、女性の至高のはたらきを見ようとする。一種の女性崇拝ではあるのだが、もはやオフィシャルに表明できるような主張ではない。


 ゲーテを続けるかどうかは未定である。仮に諦めるとして、それはゲーテの女性の好みが気に入らないなどという理由ではない。
 時間は限られている。学び得ることも限られている。取捨選択が必要であるというだけである。