本の覚書

本と語学のはなし

【ギリシア語】その執拗さに起き出して【ルカ11:5-8】

 ルカによる福音書第11章第5節から8節の原文とフランシスコ会訳。

5 Καὶ εἶπεν πρὸς αὐτούς· τίς ἐξ ὑμῶν ἕξει φίλον καὶ πορεύσεται πρὸς αὐτὸν μεσονυκτίου καὶ εἴπῃ αὐτῷ· φίλε, χρῆσόν μοι τρεῖς ἄρτους, 6 ἐπειδὴ φίλος μου παρεγένετο ἐξ ὁδοῦ πρός με καὶ οὐκ ἔχω ὃ παραθήσω αὐτῷ· 7 κἀκεῖνος ἔσωθεν ἀποκριθεὶς εἴπῃ· μή μοι κόπους πάρεχε· ἤδη ἡ θύρα κέκλεισται καὶ τὰ παιδία μου μετ’ ἐμοῦ εἰς τὴν κοίτην εἰσίν· οὐ δύναμαι ἀναστὰς δοῦναί σοι. 8 λέγω ὑμῖν, εἰ καὶ οὐ δώσει αὐτῷ ἀναστὰς διὰ τὸ εἶναι φίλον αὐτοῦ, διά γε τὴν ἀναίδειαν αὐτοῦ ἐγερθεὶς δώσει αὐτῷ ὅσων χρῄζει.

5 そしてまた、イエスは弟子たちに仰せになった、「あなた方の誰かに友人がいて、真夜中にその人の所に行って、『友よ、パンを三つ貸してください。 6 友人が旅の途中で立ち寄ったが、何も出すものがないから』と言うとする。 7 すると、彼は家の中から『面倒をかけないでくれ。もう戸は閉めたし、子供たちと一緒に床に入ってしまった。起き出して、貸すわけにはいかない』と答えるに違いない。 8 しかし、あなた方に言っておく。友人だからといって、その人が起き出して、貸してくれることはないかもしれない。しかし、その執拗さに起き出して、必要なものを何でも貸してくれるだろう」。

 「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見出す。たたきなさい。そうすれば開かれる」という有名な教訓の前に置かれたたとえ話である。
 求めなさい云々はマタイにも並行記事があるが、たとえ話の方はルカにしか見出されない。イエスが実際に話した言葉が元になっているのかも知れないし、後に作文されたものかも知れない。


 聖書を読んでいると、時々常識的な判断の斜め上を行く言葉に行き当たる。
 このたとえにおいても、夜中に起こされたからと言って友人の頼みをすげなく断るべきではないということが言われるのではないかと予想する。自分もまたそのような出来た人間でないことを反省しかける。
 しかし、イエスは言うのである。友人だからといって、夜中に無理難題を持ちかければ嫌な顔もするだろう。頼みごとをしたところで断られるにちがいない。だから、頼みとするべきは友情ではない。あなたの頼みが聞いて貰えるまで、相手が根負けするまで、執拗に頼みなさい。その執拗さこそが大事なのである、と。
 最終的にこの話は、父と子の関係から更には神と人との関係へと収斂していく。切実な頼みは、やがて全身を投げ出し、己を無とするところまで行き着くのかも知れない。執拗さの内に、信頼が宿り、信仰が生まれるのかも知れない。

【ドイツ語】われに剣を与えよ【ダントンの死】

 ビューヒナー『ダントンの死』第1幕第2場「横丁」より、シモンのセリフ。

SIMON Alter Virginius verhülle dein kahl Haupt. Der Rabe Schande sitzt darauf und hackt nach deinen Augen. Gebt mir ein Messer, Römer! Er sinkt um.

 河出書房新社と鳥影社の全集とでは、解釈が異なることがままある。この箇所もその一つである。



 鳥影社の訳。

シモン 娘の操を守ったヴィルギニウスを思うと、おれはわが身が恥ずかしい。恥という鴉が頭にとまって目ん玉を突っつかないよう、この禿頭を隠すほかねえやな。われに剣を与えよ、諸君、ローマびとよ!(ぶっ倒れる)

 私の持っているテキストをそのまま読めば、この訳のような意味になる(訳しづらいのか、大分構文を変えてしまっているが)。
 最初の一文の主語は「老ヴィルギニウス」。動詞は接続法Ⅰ式で3人称の命令形と考えるべきだろう。禿頭には「お前の」という2人称の所有冠詞が付いているが、これは自分に対して使っているものと解釈する。
 直訳すれば、「老ヴィルギニウスがお前の(=おれの)禿頭を隠すように」ということである。
 ヴィルギニウスというのは古代ローマの平民で、好色な貴族の魔手から守るために自分の娘を刺殺したという人である。酔っ払いのシモンは、プロンプターだけあってセリフが芝居がかっている。しかしその実、自分の娘が娼婦になっていることへの心情を吐露しているようである。


 河出書房新社の訳。

シモン 老ヴィルジニュスよ、汝の禿げたるこうべを隠せ――恥辱という名の烏が飛んできて、そこにとまって汝の目を突きだすぞ。わしに短刀をくれ、ロマびとよ!(ひっくり返る)

 鳥影社のとは全く異なる解釈である。
 私はテキストの問題には深入りできないが、おそらく河出書房新社版が用いている底本にはこんな風に印刷されていたのだろう。

Simon Alter Virginius, verhülle dein kahl Haupt - der Rabe Schande sitzt darauf und hackt nach deinen Augen. Gebt mir ein Messer, Römer! Er sinkt um.

 最初の「老ヴィルギニウス(ヴィルジニュス)」は呼格(呼びかけ)であり、次の動詞は2人称への命令形である。動詞の主語も、その後に出てくる2人称の所有形容詞が指し示すのも「老ヴィルギニウス(ヴィルジニュス)」である。
 テキストにそう書いてあれば(実際ネットで検索したテキストにはそう書いてある)、このように解釈するしかない。誤訳ということはできない。
 しかし、意味の上からは大いに困難がある。なぜヴィルギニウスが恥辱に見舞われることになるのか。娘の操を守るために彼女を刺殺したことが恥辱であるから、と考えることも出来るであろうが、それならなぜシモンは自分にも短刀を要求したのであろうか。


 元の手稿には「老ヴィルギニウス」の後にコンマがあったのかなかったのか、私は知らない。その有無によって全く別の意味になり得る。
 あるいは、シモンが自らを老ヴィルギニウスと同一視しようとしたところが、現実が脳裏によぎって恥辱の念に襲われ、いよいよヴィルギニウスたらんと思い立って短剣を要求したものであろうか。

朝日中高生新聞 2022年5月15日号

 3か月限定購読の折り返しに来た。
 中学高校の6年間ずっと全記事を読み、英検の問題を解いたり、天声人語で作文を書いたり、紹介された本や漫画を実際手にしてみたりしたら、大きな力にはなりそうな気がする。即効性があるわけではないし、これで教科の学習が出来るわけでもないけれど。
 大人が読んでも面白いが、ニュースのダイジェスト版を期待するなら、ちょっと情報が足りない。掘り下げももう一つ。ちょうどよいものがあれば、試してみたい。


 1~3面は沖縄復帰50年特集。照屋年之(ゴリ)や仲間由紀恵への取材もある。
 4面はネット利用者の情報保護ルールが変わるという話。何かを検索すると、別のサイトを開いても、前の検索に関する広告ばかりになることがある。閲覧履歴が勝手に広告会社へ送られているのである。今後の法改正で、本人への通知・公表、同意取得、オプトアウト(後から本人が情報提供を拒否できる)のいずれかが必要になる。しかし、どうやら欧州並みの「同意義務化」は見送られることになりそうだとのこと。


 10~11面はオードリー・ヘプバーン特集。公開されたドキュメンタリー映画の監督ヘレナ・コーンと長男ショーン・ヘプバーン・ファーラーにインタビューをしている。


 14面の英検は、4級、3級、準2級のリスニング問題。音声は英検のホームページから聞いてくれという指示であるが、私はそこまではやらなかった。