7月に読んだ本
(1) Trout Fishing in America/Richard Brautigan
(2) ベンヤミン 人と思想88/村上隆夫
(3) 書物としての新約聖書/田川建三
(4) よくわかるキリスト教の礼拝/小栗献
(5) 古代の書物/F. G. ケニオン
振り返る7月
夜は意外と寒く、体を冷やすことが多かった。そのせいばかりにすることはできないが、語学は捗らないし、本も読めない。これから暑くなれば、どうなることやら。
現在読んでいる本。
(1) 紫式部『源氏物語』
(2) スタンダール『赤と黒』
(3) クロッサン『イエスとは誰か』
(4) タイセン『新約聖書』
(5) アウグスティヌス『告白』
(6) 『ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア』
(7) 『ネストレ‐アーラント』
(8) 荒井献編『使徒教父文書』
やることが多いので、ヒステリックにどれかを放棄しては再び取り戻す、ということを毎度繰り返している。
扱いが定まらないのは、古文とラテン語。古文は読めば面白いに違いないが、他の本と心の持ち方を変えなくてはならないので、億劫になることがある。ラテン語はしばらくウルガタ訳に逃げていたのだけど、再びアウグスティヌスを開いてみた。相変わらずまだるっこい言い回しに、カビの生えたような英訳と和訳にげんなりする。どうせならウェルギリウスまで戻ってみたくもなる。
どうするか。まあ、しばらくこのまま続けてみよう。
職場では聖書。
(9) 『新共同訳聖書』
ハーフボリュームバイブルは薄くて軽くて便利なのだけど、紙がちょっと頼りないのと、作りが丈夫ではないのとで、しばらく持ち歩いているとボロボロになりそうだ。使い倒すための聖書だからそれでいいのだが、値段の割に寿命は短いかも(もっとも私は未使用品を古本屋で買ったのだけど)。
新共同訳が終わったら、文語訳に挑戦してみる予定。問題は小型聖書の文字のポイントが私の老眼には拷問であるかもしれないこと。そもそも文語訳というものが、一部分だけ取り出すとなるほど印象的な名訳であるのかもしれないが、全体としてリーダブルではない可能性が高いこと(特に旧約)。駄目だと思ったらまた新共同訳に戻る。
口語訳の小型聖書は、文語訳以上に文字が詰まっていて読めそうにない。キンドルが使えるならそれでもいいのだが、今のところ、用心して職場には持って行かない方が良いだろう。
現在は中断しているが、新共同訳の新約が終わったら(もうすぐ終わる)、『古今和歌集』を復活させるかもしれない。しかし、これは古文を続けるか否かということとリンクしているので、再開したとしてその後のことは何とも言えない。