本の覚書

本と語学のはなし

古代の書物/F. G. ケニオン

 旧漢字が使われているだいぶ古い本で、記述も翻訳もいかにも硬い感じ。わざわざ古本で買う必要もないかもしれないが、古代の書物の事情を解説してくれる本はあまりないように思う。

 古代ギリシアのこととなると、はっきりしたことはよく分からない。著者の推測では、ホメロスも既に文字に記して作詩しただろうということであるが、はたしてそれがパピルスだったのか皮紙であったのかまでは何とも言えない。
 ソクラテスの頃になれば、口頭での教授の方がずっと重視されるものの、本を研究するということも行われていた。アリストテレスの世代には、読書界というものが存在しただろうし、彼自身も文庫を所有していただろうことが想像される。

 初期の本はパピルスの巻物である。読まない時には皮紙で包み、タイトルを書いた貼り紙を付けて、円筒の容器に入れて保管した。
 やがて材料は皮紙に、形態は冊子(コデックス)にとって代わられるようになる。もちろん、過渡的にはパピルスのコデックスも作られるが、パピルスというのは、現在の紙とは違って折り曲げるのに不向きであったし、糸でかがるとそこから破れやすいという欠点があった。コデックスには丈夫で耐久性のある皮紙の方がよかったのである(逆に皮紙は巻物には向かない)。
 パピルスの凋落は4世紀頃に進んだようだ。したがってコデックスの歴史もここから本格化することになるわけだが、キリスト教の世界にあっては、それが普通であったかどうかは別として、3世紀、あるいは2世紀の頃からコデックスが用いられていた。当時はその方が安かったから、貧しくまた迫害を受けていたキリスト教徒には、選択の余地がなかったのだと言われている。

 現代に至るまで、本の形はこのコデックスが基本となっている。巻物に比べて情報を多く載せることができて、しかも参照するに便利である。人類の知の伝達にとって、まさに革命的な発明であった。
 では、コデックスはどのようにして生まれたのといえば、古代人のノートブックにヒントがあったらしい。携帯可能で、メモや詩の草稿を書くのに用いられたのは、普通は木の板であった(時には象牙や皮紙)。これに蝋を塗って鉄筆で書いたり、石灰を塗ってインクで書いたりしたのである。この板を3枚、あるいは5枚組み合わせ、紐で縛って持ち歩くこともあった。これがコデックスの範となったのである。

 ところで、この書字板のことをラテン語でタベッラ(tabella)と言う。これはタブラ(tabula)の縮小形。タブラ自体にも書字板の意味がある。タブラ・ラーサ(tabula rasa)といえば普通「白紙」と訳されるので、まっ白な紙をイメージするかもしれないが、本当は蝋を更の状態に戻した書字板のことである。
 現在タブレット端末というときのタブレットもまた、タブラに縮小辞を付けたものである(同じ語が「錠剤」を意味するのは、木型に入れて作ったからだという)。タベッラからコデックスへという革命は、今度はコデックスからタブレットへという革命へと道を譲るのだろうか。