- 作者:村上 隆夫
- メディア: 単行本
『複製技術時代の芸術作品』を読んだときには、だいぶマルクス主義の色が濃いという気がしたが、どうもベンヤミンの本質は別のところにあるようだ。ドイツ・ロマン主義とユダヤ神秘主義である。
伝記だけ読んでいると、没落したブルジョア階級の永遠のモラトリアムを生き抜いた、有態に言えばダメ人間を全うしたという印象しか受けないのも、そういうところに原因がありそうだ。哲学者でもなく、言語学者でもなく、文学史家でも歴史家でもなく、神学者でもなく、翻訳家でもなく、詩人でもなければ文芸評論家でもなかった。文章家ではあったが、彼が一番やりたがっていたことは完全に引用文からなる作品を作ることであった。それもまた、彼の本質に根差すものであったのだろう。
単純化すると、ベンヤミンは常に幼年時代の主客未分の楽園、あるいは対象とのエロス的交流を取り戻すことを志向した。批評とは、すでにアウラを失った破片をかき集め、独特な配置を施し、その真理内容を救済することである。この暴力的な救済によってこそ、エデンの像は復元されるのである。
どうもそれだけだとすれば入門書で十分という気もするが、しかし私も、ブルジョアではないにしても(どちらかといえば下流の人間である)没落のモラトリアムを選択して今は底辺に生きているわけだから、ベンヤミンの求めたような救済を必要としているのではないかと思うのである。近頃20年も前の洗礼を持ち出してきてクリスチャンぶったりしているのも、そんな気分の現われじゃないだろうか。
まあ、少なくとも『パサージュ論』と岩波文庫に収められている評論くらいは読んでおこう。