本の覚書

本と語学のはなし

『Madame Bovary』


●Flaubert『Madame Bovary』(folio classique)
 中学のときに翻訳で読んだことがあるけど、不倫を繰り返し自殺する主人公に何ら共感を覚えることはなかった。今ならば、私の生き方もエンマと同断ではないかと反省することもできるが。
 最後は薬屋オメーの栄達で幕を閉じるところからしても、彼がこの小説の主人公の一人であることは疑う余地がない。ヴォルテールを信奉する進歩的な人間であるが、実に狭量で散文的で、やがて己を裏切りフローベールを突き放していく。しかし、この人物についても、当時は単に俗物という印象しか得ることはなかった。
 恐らくはフローベールの文体にも責任がある。他の言語に移すことによって、途端に生気を失ってしまうようなぎりぎりの文体である。しかし、フランス語としてはほとんど一つの理想と言ってよい。『ボヴァリー夫人』は日本語で読むよりも、本来ずっと優れた作品なのだ。

Madame Bovary

Madame Bovary

【参照】
ボヴァリー夫人 (上) (岩波文庫)

ボヴァリー夫人 (上) (岩波文庫)

ボヴァリー夫人 (下) (岩波文庫)

ボヴァリー夫人 (下) (岩波文庫)