本の覚書

本と語学のはなし

「末摘花」開始


 和歌ばかりまとめて読むのはつらいので、源氏に戻る。

 かの空蝉を、もののをりをりには、ねたう思し出づ。荻の葉も、さりぬべき風の便りある時は、おどろかしたまふをりもあるべし。灯影の乱れたりしさまは、またさやうにても見まほしく思す。おほかた、なごりなきもの忘れをぞえしたまはざりける。(末摘花1)

 あの空蝉を、何ぞの折には、いまいましくお思い出しになる。軒端荻にも、しかるべきついでには、気を引いてごらんになる機会もあるにちがいない。灯火の光に浮んだあのしどけない姿は、ああした格好でもう一度見たいものとお思いになる。君は、およそ、どんな女でもすっかり忘れてしまうことがおできにならないのであった。


 塾のクラス授業の準備は今日で大方終えた。教科書が改訂されたせいで、今年度からノート例が配布されず、各々が授業用ノートを自作することになった。英語はまだしもいいが、国語はかなり時間がかかる。授業がやりやすくなるには違いないけど、準備作業に一切の手当てを貰えない非常勤講師にとっては、ひどく時給が希薄化してしまう。そんな理不尽な思いとも、そろそろ決別の時である。あと2週間。


 テストの成績よりも本質の理解に興味があり、性質は素直である、という生徒にしか私は教えることができないのではないかと思う。しかし、塾では全く見ることのできないタイプである。
 私は教師として人に教える人間ではない。同じ興味を持った人たちと集まり互いに教え合う、もしくは順に発表をして批評を求め合う、というのが一番いいはずだ。そのような仲間を持つことは、ないだろうけど。