本の覚書

本と語学のはなし

『紋切型辞典』


フローベール紋切型辞典』(小倉孝誠訳、岩波文庫
 奇妙な意図から構想された辞典なので、先ずは解説から読み始めるのがいい。フローベール自身の手紙を引用すると、「人前でこれさえ言えばよい、それだけで礼儀をわきまえた感じのよい人間になれる、といった文句が並んで」はいるが、「この本のはじめからおわりまで、ぼく自身のつくりあげた言葉はひとつも見当たらず、だれでも一度これを読んだなら、そこに書いてある通りをうっかり口にするのではないかと心配で、ひと言もしゃべれなくなる、というふうであってほしい」(1852年12月16日、恋人ルイーズ・コレ宛)という。恐るべき本なのだ。
 この倫理的復讐の書の着想は1840年代後半にさかのぼる。最初は独立した辞典として構想されていたが、やがて『ブヴァールとペキシェ』の第二巻に組み込むことが決定される。まるでライフワークのようだけど、1880年に作家が亡くなると、小説も辞典もともに未完のまま残されてしまった。


 今の日本でこの本を読んで面白いと思う人はあまりいないかもしれない。しかし、フローベールの本を読むときには大いに役立つ。
 例えば「ヴォルテール」の項は次のように書かれている。

「引きつったような恐るべき笑い」によって有名。
浅薄な知識しか持っていなかった。


 引用句の訳者注には、「この表現は、反革命の思想家、ジョゼフ・メーストルの著書『ペテルスブルクの夜話』にある。ヴォルテールフローベールが敬愛していた作家」とある。一方、『ボヴァリー夫人』を見ると、信心に目覚めた夫人に司祭が「教養ある女性の読む何かこれという本」を送るよう本屋に頼んだところ、その中には「メストル氏ばりの尊大ぶった風刺パンフレット」(下84頁)が含まれていた。


 「剣」の項には次のように書かれている。

「剣のように勇猛な」。しかしけっして抜かれたことのない剣もある。
「忠実な剣」、現代のバヤールの剣。
今では帯剣しなくなったことを残念に思うべし。
剣といえばダモクレスの剣しか知らない。


 訳者注「ダモクレスは、シラクサの僭主ディオニュシオス一世の家臣。ディオニュシオスは宴会の席で、ダモクレスの頭上に馬の尾毛で結わえて剣をつるしたという。この故事にちなんで『ダモクレスの剣』と言えば身に迫っている危険を指す」。
 『ボヴァリー夫人』に出てくる薬屋のオメーは徹頭徹尾紋切型のかたまりである。彼は小僧をどやしつけるのにも、紋切型以外の言葉を使うことができない。「われらを支配する不合理な法律が、ダモクレスの剣のようにわれらの頭上にかかっているからだ!」(下128頁)


 『ボヴァリー夫人』や『感情教育』に出てくる人間などは、みな紋切型に支配されているとみることもできる。フローベール自身だって、手紙の中ではつい紋切型の表現を使ってしまったりしている。自らこの本の呪縛を受けて、人知れず赤面することもあったのかもしれない。

紋切型辞典 (岩波文庫)

紋切型辞典 (岩波文庫)