本の覚書

本と語学のはなし

桐壺「詩的」

 月は入り方の、空清う澄みわたれるに、風いと涼しくなりて、草むらの虫の声々もよほし顔なるも、いと立ち離れにくき草のもとなり。(桐壺8)

 月は沈みかけるころで、空は一面美しく澄みきっているうえに、風がまことに涼しくなって、草むらの虫の声々が涙を誘うかのように聞こえるのも、じつに立ち去りがたい草の宿である。


 草の宿には引歌があるらしい(未詳)ので、もともと詩的情緒の漂う文章になっている。提示された状況が主語を示さぬままに一つの場へと収斂されていくという、最後の述部のまとめ方も、発想がほとんど和歌という感じだ。近代の作家の中にはこういう文体を時に取り入れる人もあったと思うが、現在の日本語ではもう絶滅しているかもしれない。


 さて、雪かきの話の続き。
 自然に解けるまで我慢できなかったようで、父は昨日我が家の壁際に投げた雪を、今日さっそく表の方に運んでいた。それなら畑から直接運んだ方がよかったのではないかと思うけど、昨日は一刻も早く畑をきれいにしたかったのだろう。今日になってみたら、壁際に積まれた雪が気になって仕方なくなったのだろう。奥に進むにつれ作業は大変になっていくが、急を要する仕事ではないし、私は自然に解けていく様子を検証したいので、力は貸さない。
 畑の雪を数か所掘って土を出そうと思っていたが、夕べ凍りついた雪が、昼過ぎになっても硬いままだった。指の関節を痛めているし、いつでもいい仕事なので(と言うより、しなくても構わない)、今日は諦めた。