本の覚書

本と語学のはなし

雪かきと古典文学の休止


 19日に畑を覆う雪に3条の溝を掘り、土をのぞかせて、雪の消え方を観察する。気温がそれほど上がらなかったのと、直射日光が当たりにくいのとで、期待したほどのスピードでは消えないが、効果がないこともない。今日はさらに溝を2条増やし、畑の縁の土も出してみた。しばらく暖かい日が続くので、もうこれ以上手は加えない。
 父は庭の冬囲いを片付け始めた。雪国だから3月に入っても雪が降らないとは限らない。昨年も早めに片付けた後に降ったのではなかったろうか。しかし、倒れて以来こらえ性がなくなってしまったので、ひとまず雪の始末が終わってしまえば、今度は冬囲いに手を付けずにはいられないのだ。
 壁際に投げていた雪の始末は、しかし、終わったというより、終わりにしたという感じで、奥の方の多くは手つかずになっていたり、畑に投げ戻されたりしていた(全く意味のないことではないけど)。それも全部処理して、今日の私の作業は約1時間。


 『源氏物語』も『万葉集』も読もうと思えば読めるということを確認してしまったら、なんだか古典に対する気力が急速に萎えてきた。せっかく光源氏に物心がつき始めてきたところだけど(母の死には何が起きたか分からなかった光源氏であったが、祖母の死には「こたびは思し知りて恋ひ泣きたまふ」)、いったん休止してみることにした。
 歴史参考書、フランス文学、タイム、英米文学、気が向けばリスニング。余裕があれば古典ではなく翻訳文学を読む(とりあえずは中断しているポーの短篇集)。再び古典への渇きを感じるまで、これで行く。