本の覚書

本と語学のはなし

『道元禅師全集10 永平広録1』


●『原文対照現代語訳・道元禅師全集10 永平広録1』(鏡島元隆訳注、春秋社)
 『永平広録』全十巻の内、巻一から巻三までを収録する。
 原文は漢文で、中国の伝統的な語録の体裁を取っている。その分、日本語で書かれた『正法眼蔵』より難しいのかと思っていた。しかし、独特の難解さはあるものの、日常的な説法として親しみやすいものも多い。
 道元は、1247年8月、鎌倉に向かい、時の執権北条時頼に会っている。その心の解釈をめぐってはいろいろ言われているようだ。道元自身の言葉は、『永平広録』第三に収められている。長くなるが、現代語訳の全文を引用する。

【訳】251 宝治二年《戊申》三月十四日の上堂に言われた。山僧わたしは昨年八月三日に、当山を出て相州鎌倉郡に赴き、檀那俗弟子(波多野義重)のために説法し、今年の今月昨日(三月十三日)帰山し、今朝上堂する次第である。この一件については、もしかすると誰か疑問を抱くものがあって、あまたの山川を渡って俗弟子のために説法するのは、俗を大事にして僧を軽んずるきらいがないでもない、と言うものがあるかもしれない。また、疑問を抱くものは、いまだかつて説かず、いまだかつて聞かない教えを説き、示したのではないか、と言うものがあるかもしれない。しかしながら、いまだかつて説かず、いまだかつて聞かない教えは一切ないのである。わたしはただ俗弟子のために、善を修めるものは天上に生まれ、悪をなすものを地獄に堕ちるのであって、因果の道理は昧ますことができないから、かわら(煩悩)を投げて玉(菩提)を引かなければならないと説いただけである。ではあるが、この一件のことは、永平老漢わたしが明らかにし、説き、信じ、行じていることである。大衆諸君はこの道理を会得したいと思うか。しばらくして言われた。我慢できぬのは永平が舌の先で、よしなくも因果を説いたことである。いままでどれだけ辦道工夫を重ねたというのか。今日は気の毒に水牯牛となって泥まみれになってしまったぞ。これは鎌倉における説法を顧みての感懐である。永平に帰山した一句は何と言ったものか。山僧わたしはこの山を出で去って半年余であった。その間はあたかも一輪の月が太虚空中にあるかのようであった。今日、山に帰れば雲が喜んで迎えてくれる。わたしの山を愛する気持ちは、山を去った当初よりなお強く覚える。(全集10、215-7頁)


 何気ないようだが、檀那俗弟子とは波多野義重であって、北条時頼のことではないというのが、解釈の一つの肝になるのだろう。しかし、なぜ鎌倉に行ったのかという詮索はともかくとして、永平寺に戻った時の心情が割と素直に吐露されているのは興味深い。
 読み下し、現代語訳、注釈付きというのはありがたい。

永平広録〈1〉 (原文対照現代語訳・道元禅師全集)

永平広録〈1〉 (原文対照現代語訳・道元禅師全集)

  • 作者:道元
  • 発売日: 1999/11/01
  • メディア: 単行本