本の覚書

本と語学のはなし

Das Kapital


 しかしまあ、買ったものは仕方がないから、行けるところまで行ってみるべきだろう。今日からマルクスの『資本論』を少しずつ、本当に少しずつ読んでみる。
 参照する翻訳は、筑摩書房の『マルクス・コレクション』に収められた今村仁司三島憲一・鈴木直訳、岩波文庫向坂逸郎訳。祥伝社新書の的場昭弘超訳は、抄訳とも言えぬほどであるが、訳に加えて解説もしてくれているので併読する。


 いろんな版の序文が先ずあるのだが、今日はそこを飛ばして、本文の冒頭を比較してみる。『資本論』は商品の分析から始まる。

 Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise herrscht, erscheint als eine „ungeheure Warensammlung“, die einzelne Ware als seine Elementarform. Unsere Untersuchung beginnt daher mit der Analyse der Ware.

 資本制生産様式が君臨する社会では、社会の富は「巨大な商品の集合体」の姿をとって現われ、ひとつひとつの商品はその富の要素形態として現われる。したがってわれわれの研究は商品の分析からはじまる。(今村ほかⅣ55頁)

 資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。(向坂Ⅰ67頁)

 資本主義的生産様式を支配している社会的富は、「巨大な商品のかたまり」として現われ、この富を構成しているのがこの商品である。だから、われわれの研究は商品の分析から始まる。(的場Ⅰ52頁)


 関係代名詞の処理ひとつとってみても、やはり『マルクス・コレクション』は読みやすそうだ。的場のは「超訳」だから、翻訳としては論じない方がいいだろう。そうでなければ、「資本主義的生産様式を支配している社会的富」を大目に見ることはできない。