本の覚書

本と語学のはなし

Die Verwandlung


 カフカの『変身』を読む時は、普段は池内紀訳(白水Uブックス)を参考にしているが、今日は高橋義孝訳(新潮文庫)と丘沢静也訳(光文社古典新訳文庫)を借りてきたので、気になるところを比較してみたい。

  Gregor erfuhr nun zur Genüge ― denn der Vater pflegte sich in seinen Erklärungen öfters zu wiederholen, teils, weil er selbst sich mit diesen Dingen schon lange nicht beschäftigt hatte, teils auch, weil die Mutter nicht alles gleich beim ersten Mal verstand ―, dass trotz allen Unglücks ein allerdings ganz kleines Vermögen aus der alten Zeit noch vorhanden war, das die nicht angerührten Zinsen in der Zwischenzeit ein wenig hatten anwachsen lassen.

 父親は自分の説明をくどくくりかえす癖があった。それは、ひとつにはもう長いあいだそういう事柄をあつかわずにいたからであり、またひとつには話を聞く母親が一ぺんで相手の言うことを理解したためしがないからでもあったが―――そういう説明を盗み聞きしてグレーゴルにはっきりとわかったのは――いろいろと打撃を受けたにもかかわらずむかしの財産がほんの少々はまだ残っていて、利息のほうにはぜんぜん手がついていないので、以前よりわずかでもそれがふえているという事実であった。(高橋訳,46-47頁)

 いまになってグレーゴルはちゃんとわかった。―――というのも父親は説明を何度もくり返すくせがあったからだ。それは父親自身、こういう問題に長い間無頓着だったからであり、また母親が、一度にすぐ全部が理解できるわけではなかったからでもある。―――つまり、いろんな不幸にもかかわらず、もちろんわずかな額ではあるが昔の財産がまだ残っており、手をつけていないその利息がこの間すこしだが増えているのだ。(丘沢訳,75-76頁)

 いまやグレーゴルは十分に知ったのである―――というのも父は何度となく同じ説明をくり返した。一つには、すでに長らくこういった実務とはなれていたせいであり、一つにはまた、母が一度ですぐに、すべて呑みこめるとはかぎらないからだ―――あれほどの不幸であったが、かつての資産の多少なりとも残っていたこと、手をつけなかった元金に利子がついて、この間にもかなりふくらんだこと。(池内訳,51頁)


 並べてみると、池内訳だけ異質である。悪く言えば雑なのだ。
 最後の「das die nicht angerührten Zinsen in der Zwischenzeit ein wenig hatten anwachsen lassen」だけ見てみることにしよう。「das」は関係代名詞で、先行詞は「ein allerdings ganz kleines Vermögen(わずかばかりの財産)」である。関係節の中での役割は4格目的語で、自動詞の不定詞「anwachsen(増える)」の意味上の主語となる。主語は「die nicht angerührten Zinsen(手を付けられなかった利息)」であるが、これは動詞が複数形の語尾変化をしていることからも裏付けられる。したがって、受験英語並みの直訳で訳してみると、「手を付けなかった利息がその間に少々増えるにまかせたところの(財産)」ということになる。その通りに訳しているのは高橋訳で、丘沢訳では関係詞でつながっているはずの財産と利息が切り離されている感はあるが、まあ許容範囲内だろう。池内訳では元金に手を付けなかったということになっている。多少ともお金を増やそうと思ったら利息以上に取り崩してはいけないだろうから結果的には同じことなのかもしれないし、『変身』を読解する上でどちらでもいいことなのだけど(と池内も思っているのだろう)、それでもこれはパラフレーズの域を超えているような気がする。
 なお「ein wenig」が「かなり」という意味になるという用法を私は知らない。