★大谷哲夫『道元「永平広録・頌古」全訳注』(講談社学術文庫)
★サルトル『存在と無 現象学的存在論の試みⅠ』(松浪信三郎訳,ちくま学芸文庫)
『永平広録・頌古』は、「永平広録」の第九巻を取り出したもの。*1私は春秋社の現代語訳全集*2を集めているが、道元の場合、現代語訳や解釈は非学問的でない限り何種類持っていてもよい。
冒頭の文章から、「春台夢覚めて花の香〔ば〕しき*3を弁(わきま)う、広く人天(にんでん)に示す独り飲光(おんこう)*4のみなり(春台夢覚弁花香、広示人天独飲光)」を例に、①大谷と②鏡島(春秋社の現代語訳全集)の訳を比較してみよう。
①うららかな春のうたた寝から覚めて、はじめて花の香りをかぎ分けるように、/その正法の真意を広く人天に示すのは摩訶迦葉のみ。
②世尊は霊鷲山において説法することの空しさを覚え、一本の香しい花を拈じ、これを広く人間界・天上界の衆生に示されたが、世尊の意を会得したのは迦葉だけである。
「広示人天」の主語が、①では迦葉とされ、②では世尊とされている。①では韻を踏むための単純な倒置と考えられる構文が、②ではかなり大胆な省略があるものと看做されている。そこから前の部分の解釈もガラリと変わって来るのだ。
これだけでも、現代語訳は1種類で十分だということはない、と納得しもらえるものと思う。
それにつけても、仏教用語の入力の面倒くさいこと!
サルトル『存在と無』は、今さらという感じがしないでもないし、よほどのきっかけがない限り読まないだろうが、持ってはいたい本。全3巻。