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『14歳からの哲学 考えるための教科書』

池田晶子『14歳からの哲学 考えるための教科書』(トランスビュー
 中学生には難しいんじゃないかと思うが、哲学というのは最終的には言葉で言い表しがたい事態までをも考えようとするのだから、仕方がない。答えがないという不満もあろうが、哲学の真骨頂は問いにあるのであって、それぞれの哲学者によって答えられたことは哲学そのものではないのだから、これまた仕方ない。今まで当たり前のように思っていたことが疑われ、問いが立てられるなど想像もしていなかったところに問いが立てられるのだということ、先ずはそのことを知っただけでも素晴らしいことなのだ。
 ただ、池田の書き方が私の好みかというと、ちょっと違う。プラトンが好きらしいのはよく分かる。章立てなどからしヘーゲルくさい感じもする。東洋哲学的な側面も持っている。いずれにしても、哲学として私のストライクゾーンではないのだ。


理想と現実とは別物ではないのだから、君が理想をもっている、それを失うことなくもち続けているというそのことだけで、それは十分に現実的な力として、この世界の根底で確実に働き続けているんだ。(97頁)


君が自分を捨てて、無私の人であるほど、君は個性的な人になる。これは美しい逆説だ。真実だよ。人は、個に徹するほど天に通じることになる。この宇宙は、なぜかそういうつくりになっているからだ。(128頁)


信じる前に考えて、死は存在しないと気がつけば、死後の世界など問題ではなくなるはずだし、死への恐れがなくなれば、救いとしての神を求めることもなくなるはずだ。そして、救いとしての神を求めることがなくなれば、にもかかわらず存在しているこの自分、あるいは宇宙が森羅万象が存在しているのはなぜなのかと、人は問い始めるだろう。この「なぜ」、この謎の答えに当たるものこそを、あえて呼ぶとするのなら、「神」の名で呼ぶべきなのではないだろうか。(177頁)

14歳からの哲学 考えるための教科書

14歳からの哲学 考えるための教科書