本の覚書

本と語学のはなし

大学入試 山川喜輝の生物が面白いほどわかる本/山川喜輝

 600ページほどの分厚い参考書。試験を受けるわけではないから、細かいことは直ぐに忘れてしまう。でも高校生がどんなことを学んでいるのか、大雑把には理解することができた。
 PCR(コロナの検査のためだけにあるのではない)、遺伝子組み換え、クリスパー/キャスなどのバイオテクノロジーにも触れられている。こういうことは、私が高校生の頃には教えていなかったのではないだろうか。
 ニュースを理解し、自分でも多少の判断をするためには、自然科学の知識も不可欠である。高度な先端知識はなかなか理解できるものではないが、基礎さえ知っていればある程度イメージすることはできる。私としては、そのくらいでよいのである。


 次は化学。理論化学と無機化学有機化学を合わせると、1200ページくらいになる。長い旅になりそうだ。

Newton 2023年2月号【バイアスの心理学】

 少し前、毎号心理学の記事が載せられていた。今回の第一特集「バイアスの心理学」は、それらをまとめて、ちょっと増補したような内容。
 自分では冷静に判断したつもりでも、案外人間の心には勝手な思い込みが潜んでいるものである。その思い込みには、多くの人に共通した傾向が見られることもある。我々の生存のためにプログラムされたバイアスであるのかも知れない。
 正常性バイアスというものがある。災害が起きたときに逃げ遅れるのは、逃げることができなかった場合もあるが、逃げなかっただけの場合も多い。「このくらいなら大丈夫」「まだそれほど危険じゃない」と人は思い込みがちなのだ。
 非日常的な状況では、大きなストレスを回避するために楽観性バイアスがはたらくことがある。その延長線上に正常性バイアスもあるとすれば、これは我々の心を守るための重要な機能ではある。
 だが、一定の限度を超えれば、楽観性だけで乗り切れるものではない。気がついたときには手遅れになることもある。心に余裕を持ちながら、適度に小心であることは、命を長らえる秘訣であるようだ。

【ドイツ語】老いてこそ、やっと本当の童心を摑むんですよ【ファウスト1】

Das Alter macht nicht kindisch, wie man spricht,
Es findet uns nur noch als wahre Kinder.

 まだ前狂言を読んでいる。これは、詩人に向けた道化役のセリフである。


 山下肇訳。

世間でいう、老いては子供にかえるは嘘、
老いてこそ、やっと本当の童心を摑むんですよ。


 森鷗外訳。

老いては子供に返るとは、世の人のさかしらで、
真の子供のままでいるのが、老人方の美点です。

 高橋義孝訳。

世間じゃ、年寄りは子供染みるというが、
子供のままでいるというのが本当の年寄りというものです。

 三者三様である。
 ここでの肝は、kindischという形容詞である。これは「子ども」を意味するKindという名詞からできた言葉だが、kindlichが「子どもらしい」とか「無邪気な」を表すのに対して、kindischは軽蔑を含んで「子どもじみた」とか「愚かな」という意味になる。
 俗に老人が子どもに返ると言うとき、そこには子どもじみた言動が増えるとか、耄碌するといった、否定的なニュアンスが含まれる。だが、それは違うというのである。
 二行目を直訳すると、「老年は我々をまさに真の子どもとして見出す」となる。子どもじみるのではない、老人は本当に子どもであるのだ、ということだろうか。


 転職は成功した。
 なかなか電話が来ないし、求人票には前日までなかった年齢制限が付けられていたので、不合格だろうと思っていた。私を雇うことにしたので、もう一人は若い人を採ろうと考えたのかも知れない。
 翌日、現在勤めている会社に行き、退職の意思を告げた。一番頼りにしていたのにとは言われたが、あっさりと了承された。退職届の様式がたくさんストックされていたので、一部貰って来た。私の部署では年齢以外の理由で退職する人はほとんどいないけれど、他の部署は入れ替わりが激しいのだろう。来る者は拒まず、去る者は追わないという会社のようである。
 三月から新しい職場で働く。ゲーテを続けることができるか否かが問題である。難しいだろうと予想する。だが、行けるところまでは行ってみようと思う。少しずつではあったにしろ、部分的にではあったにしろ、ゲーテを読むことは決して小さなことではないだろうし、それで大きな鉱脈を掘り当てることもないわけではなかろうと思うのである。