本の覚書

本と語学のはなし

【フランス語】非常な高給で雇ったこのドイツ人が【エセー1.26/25】

 モンテーニュ『エセー』第1巻第26章(第25章)「子供たちの教育について」を読み終える。
 割と長い章なので(翻訳で60ページ弱)、いろいろな話題があり、脱線もする。中にはなぜここに入れられたのか分からない、1588年以降の書き込みもある。どうやら大分お怒りのようだが、何に憤慨しているのか、何が言いたいのかすら、明瞭には捉えがたい。
 引用して紹介したい言葉はたくさんあるが、モンテーニュ自身が幼少期に受けた特殊な教育に触れたところを書き抜いておく。


Tant y a que l'expedient que mon pere y trouva, ce fut que, en nourrice et avant le premier desnouement de ma langue, il me donna en charge à un Alleman, qui dépuis est mort fameux medecin en France, du tout ignorant de nostre langue, et tres-bien versé en la Latine. Cettuy-cy, qu'il avoit faict venir expres, et qui estoit bien cherement gagé, m'avoit continuellement entre les bras. (p.173)

それはさておいて、父が発見した方法とは、わたしがまだ乳飲み子で、ろれつもまわらないうちから、あるドイツ人の手に委ねることでした。この人はのちにフランスでも有名な医者となりまして、もう亡くなりましたが、フランス語はまったく知らない代わりに、ラテン語がとても堪能な方でした。父がわざわざ呼び寄せて、非常な高給で雇った、このドイツ人が、いつでもわたしを、その腕に抱いていてくれたのです。(p.301)

 近代人がギリシア人やローマ人の高みに至り得ないのは、彼らの言葉を学ぶのに時間がかかりすぎるからだ。そう教えられて、モンテーニュの父はラテン語だけで彼を育てることにした。
 モンテーニュにとってはラテン語母語となった。「六歳になるまでは、フランス語もペリゴール方言も、アラビア語同然にさっぱりわか」(p.301-302)らなかったのである。
 その頃には、オウィディウスの『変身物語』を楽しんでいた。「知っているうちで、いちばん簡単な本」(p.304)だったから。同年代の子供たちが読むようなものは読まず、やがて「ウェルギリウス『アエネイス』を一気呵成に読み終えて、それから、テレンティウス、プラウトス、イタリアの喜劇と、内容のおもしろさにひかれて、次々と読破していった」(p.305)のであった。
 これを見逃し、やさしく導く先生にも恵まれた。「こうしたことにブレーキをかけるような愚かな人間であったなら、学校教育からは、書物への憎しみしか持ち帰らなかったにちがいないと思って」(p.305)いるのである。