本の覚書

本と語学のはなし

【ギリシア語】知恵を持たない者には不幸に陥る契機【運について】

 プルタルコスの『運について』を読了する。
 この作品で扱われている運というのは、運命というよりももう少し軽く、偶然に近い。それは思慮によって、理性によって、制御し、乗り越えるべきものである。
 相変わらず単語で苦労する。だが、プルタルコスの語彙と文体に慣れ、豊富に編み込まれた様々なジャンルの引用に親しめば、大概のギリシア語は読むことができるようになるのではないだろうか。
 最後の文章を書き抜いておく。


οὐ γὰρ μόνον "τὸ εὖ πράττειν παρὰ τὴν ἀξίαν ἀφορμὴ τοῦ κακῶς φρονεῖν τοῖς ἀνοήτοις γίγνεται," ὡς Δημοσθένης εἶπεν, ἀλλὰ τὸ εὐτυχεῖν παρὰ τὴν ἀξίαν ἀφορμὴ τοῦ κακῶς πράττειν τοῖς μὴ φρονοῦσιν. (100A)

なぜならデモステネスの述べたように、「不相応な幸せは、愚か者が誤った考えに陥る契機となる」だけではなく、不相応な幸運は、知恵を持たない者には不幸に陥る契機ともなるからである。(p.50)

 二つの主語、「不相応な幸せ」(τὸ εὖ πράττειν παρὰ τὴν ἀξίαν)と「不相応な幸運」(τὸ εὐτυχεῖν παρὰ τὴν ἀξίαν)はともに、不定詞句に中性・単数の定冠詞をつけて名詞化したものである。後者のエウテュケインは「よい運に恵まれて成功する」というような意味であるけれど、もちろんテュケーと関連する語である。
 「誤った考えに陥る」(τοῦ κακῶς φρονεῖν)と「不幸に陥る」(τοῦ κακῶς πράττειν)も同様に、不定詞句に冠詞をつけて名詞化したものだが、こちらは冠詞が属格になっているので、「契機」を修飾することが出来るのである。後者のカコース・プラッテインは、デモステネスが主語で使ったエウ・プラッテインの反対である。
 また、「知恵を持たない者には」(τοῖς μὴ φρονοῦσιν)というのは、デモステネスのカコース・プロネインという不定詞を分詞にしたものである(カコースがメーという否定辞になっているが)。
 こういうのは、やはり原文でないと味わいにくいところではある。


 次は『多くの友をもつことについて』を読む。
 これも比較的短い作品である。