比較してみると、やはり注釈が助かる。ストア哲学の用語にはラテン語とギリシア語が併記されており、ストア派の歴史的変化についても触れられる。セネカと同じように折衷的に哲学を受容し、セネカよりはずっと詳しく様々な学説を紹介したキケロの文章も、折に触れて引用される。歴史の中に置いてセネカを読み解こうと思うならば、新訳の方が断然良いだろう。
キケロとの比較は解説の中でも扱われる。
今までにキケロを読んだのは一度しかない。学生時代に『カティリーナ弾劾』を原文で学んだだけである。
作品数は多いし、日本語で読んでも面白さは半減して退屈しそうだし(それはセネカも同じかも知れないが)、モンテーニュの評価を免罪符として、キケロには深入りしないようにしようと考えていた。
だが、ひょっとするとセネカの注釈に触発されて、キケロに手を伸ばす日が来るのかもしれない。