26章はボルドー本、25章は1595年版(宮下志朗訳の底本)の章番号である。後者が1つ少ない分は、後に回されているだけである。いずれ番号は揃うことになる。
最近はヴィレのテキストを使っている。ヴィレの注釈を頻繁に参照していたので、一々開いて確認するのが面倒臭くなったのだ。翻訳は宮下志朗訳がメイン。現代フランス語訳も常に開いておく。関根秀雄訳、原二郎訳、フレイムの英訳は問題のある箇所でないと見ないけれど、関根の解説だけは全部ちゃんと読んでいる。
なお、下に引用した翻訳が丁寧語になっているのは、この章が伯爵夫人に宛てて書かれたからである。
Aussi moy, je voy, mieux que tout autre, que ce ne sont icy que resveries d'homme qui n'a gousté des sciences que la crouste premiere, en son enfance, et n'en a retenu qu'un general et informe visage: un peu de chaque chose, et rien du tout, à la Françoise.
わたしの場合も同じことなのです。ここに書いてあることが、子供時代に学問の上皮だけを味わい、その全体のぼんやりした顔立ちしか覚えていない人間の、とりとめのない夢想にすぎないことは、だれよりもよくわかっているのです。つまりわたしは、フランス風といいますか、どれもこれも少しずつかじってはいても、なにもわかってはいないのです。(p.250)
父親が、欠点のある子であっても、自分の子供と認めないことはないように、モンテーニュもまた、自分の生み出した『エセー』が、なにかとりとめのない夢想のようなものでしかないにしても、自分のものであることを否定しようとは思わないのである。
それにしても、「どれもこれも少しずつかじってはいても、なにもわかってはいないのです」とモンテーニュ言われると、少し安心したくなる。
Mais, d'y enfoncer plus avant, de m'estre rongé les ongles à l'estude d'Aristote, monarque de la doctrine moderne, ou opiniatré apres quelque science, je ne l'ay jamais faict ;
でも、それをもっと突きつめてみるとか、近代の学問の王者であるアリストテレスの研究に、骨身を削るとか、なにかの学問に明け暮れるとかいったことは、全然したことがないのです。 (p250-.251)
ヴィレの注釈を見ると、最初は « l'estude de Platon ou d'Aristote » とあったという。だが1588年以降、プラトンは削除される。その頃プラトンをよく学んでいたためらしい。
翻訳の中で「骨身を削る」とあるところは、原文では「爪を噛む」となっている。原訳は宮下訳と同じ、関根訳は「苦心する」、フレイム訳は「gnawing my nails」。直訳の方がずっと感じが出るのではなかろうか。
なにしろモンテーニュはアリストテレスとかスコラ哲学とかが大嫌いなのである。なお、アリストテレスが「近代の学問の王者」と言われているのは、特にスコラ哲学を通じて、この時代まで権威を持ち続けていたからである。
Je n'ay dressé commerce avec aucun livre solide, sinon Plutarque et Seneque, où je puyse comme les Danaïdes, remplissant et versant sans cesse. J'en attache quelque chose à ce papier; à moy, si peu que rien.
わたしは固い本とは親しく付き合いませんでしたが、プルタルコスとセネカだけは別でして、両者からは、まるでダナイス(ダナイデス)たちのように、桶をいっぱいにしては、それを空けてと、たえず汲みあげているのです。そのなにがしかは、この紙〔『エセー』のこと〕に注ぎましたが、わたし自身には、まずほとんど汲みこんでおりません。(p.251)
「わたし自身には、まずほとんど汲みこんでおりません」という部分に、宮下も原も、記憶力が弱かったということを言っている、という注を付けている。他の箇所でもモンテーニュは、記憶力が悪いことを告白しているから(必ずしもそうだったとは言えないとは思うけれど)、ここも記憶のことに言及しているのかもしれない。
一方で、関根の解釈はそれ以上のことを読み込もうとしている。
これは注目すべき告白だと思う。セネカとプルタルコスは一生を通じてしばしば読み引用もしているが、ミシェルは常にミシェルであるということ、書籍的源泉を過重視してはならないこと、モンテーニュ思想の自主性を優先しなければならないことを教えている。(p.43)