本の覚書

本と語学のはなし

モラリア2/プルタルコス

 『いかに敵から利益を得るか』『多くの友をもつことについて』『運について』『徳と悪徳』『アポロニオスへの慰めの手紙』『健康のしるべ』『結婚訓』『七賢人の饗宴』『迷信について』の9編を収録。


 プルタルコスは健康や医術についても関心を持っていた。彼は哲学者というよりは哲学教師であるのかも知れないけれど、どちらであろうと、日常生活に即して哲学を展開することにかけて最も面目躍如たるものがあるようだ。

まず第一に、言論を愛する者(ピロロゴス)に対する適切な体育に関して話を始めよう。……なぜなら、そうした人々は毎日、言論を用いるために声を出して暗唱するので、それは健康という点だけではなく、力強さという点でも驚くほどの身体訓練になるからである。(『健康のしるべ』130A-B、p.147-148)

 討論したり音読したりすることもまた、健康のための運動として捉えられている。


 ソロンがまったく食事をしないのが最善であると考えるのに対して、クレオドロスは反論する。

食事が廃止されれば、この食卓も廃止されるが、食卓とは友情と歓待の神々の祭壇なのである。そしてタレスが述べるように、もし大地が取り去られるならば宇宙全体が混乱に陥るがごとく、それと同じような仕方で家の崩壊も起きる。すなわち、食卓が滅びれば、それとともに滅びることになるのは、炉の火や炉そのものや混酒器や娯楽や歓待であり、最も人間愛的で互いに対する親交の第一の行為というべきものである。いやむしろ、生のすべてがことごとく滅びる。もしも、生きることが、人間がさまざまな行為をして時を過ごすことであり、その行為の大半が食べ物の必要とその獲得によって要請されるものであるならば。(『七賢人の饗宴』158D-E、p.236)

 霞を食べて生きていくのは、人間が既に人間でなくなることである。おそらくプルタルコスはこれを理想とはせず、クレオドロスの言葉の方に共感を覚えていたのではないかと思う。そして、モンテーニュが愛したのも、人間として生きることを哲学したプルタルコスであったように思われる。


 プルタルコス無神論者ではない。伝統的な神々を信じる者である。彼はデルフォイの神官でもあったのだ。

人間にとって最も楽しいのは、祭礼や神殿での祝宴、奥義の伝授や密議、神々への祈禱や礼拝である。(『迷信について』169D、p.270-271)