かつてソクラテスは、彼以上の知者はいないという神託を受けた。しかし、そんな自覚のない彼は、知者と思われる人たちをつかまえ、議論に引き込む。そうして、知者と言われる人も実は何も知っていないのであって、少なくとも無知を自覚しているソクラテスの方がその分だけ知者と言われる資格があるのだろうと考えるようになる。
こうして彼は偉い人たちの恨みを買うことも多かったのだろうし、若者たちを熱中させることもあったのだろう。
第1回目の投票でソクラテスは有罪となる。次は原告被告双方が刑を申告し、そのいずれかが再び投票で選択される。ここで国外追放などを申し出ていれば、彼の命は助かったのかもしれない。しかし、彼は先ず迎賓館での食事を要求する。次に、クリトンやプラトン(プラトンの作品にプラトン自身はほとんど登場しない)らに促されて、30ムナの罰金を申し出る。だが、結局は死刑が決定されるのである。
『クリトン』では、牢獄のソクラテスをクリトンが訪問する。あと1日か2日で刑が執行されるという時である。
クリトンは脱獄を勧める。お金を使えば比較的容易に出来たらしい。しかし、ソクラテスは彼と議論を始め、判決自体は不当なものであっても、国法を踏みにじるのは不正であり、不正を行うことはまた自分自身を傷つけることでもあるという合意に至るのである。
我々に必要なのは単に生きることではなく、よく生きることであり、それはソクラテスにとって正しく生きることであった。
この本にはもう一編、クセノポンの『ソクラテスの弁明』が収められている。
真作かどうか議論はあるようだし(訳者は真作と考えている)、クセノポンは裁判当時アテネにはいなかったらしいので、どちらにしても、どの程度真実を反映しているかよく分からない。
クセノポンの特徴は、ソクラテスが死刑を積極的に望んでいたらしいという点にある。平たくいえば、老後を悲観していたのである。
ところが、これからもっと年を重ねて高齢になるならば、老年につきものの厄介をすべて背負い込むことになって、目も悪くなれば、耳も遠くなり、理解力も落ちれば、習ったことも忘れやすくなるのは必然だということが、ぼくには分かっているのだ。だが前よりも衰えた自分に気づき、ぼく自身を責めることになれば、どうしてぼくは――とかれは言ったそうであるが――これからも心楽しく生きていくことができるだろう。実際、おそらく――とかれは言ったそうである――神様もまた、ご好意からぼくのために、ちょうどよい年齢で生を終えるように取りはからってくださっているだけでなく、また最も楽に終えることができるように取りはからってくださっているのだろう。(p.211-212)
ここには、論理的にもっとも正しいと思われることに従って行動するソクラテスの姿はない。最も楽な死へと逃避したがっているかのようである。
ソクラテスの死は西欧の歴史2000年を通じて事件であり続けている。それはモンテーニュにとっても同様であった。彼はあちこちでソクラテスについて言及している。
今日たまたま読んだところにも、まさにソクラテスの死について書いているところがあったので、書き抜いておく。
公共の社会は、われわれの思想には関知しない。だが、それ以外の、行動や、仕事や、財産や、生活については、社会の役に立つように、一般の意見に合うように、それらを貸し与え、委ねなくてはいけない。あの正しく、偉大なソクラテスは、実に不当にして、公正ならざる法律であったのに、それにそむくことで自分の命を救うという道を拒否したわけだが、これはそういうことなのだ。(p.193)