本の覚書

本と語学のはなし

【購入】天体観測手帳・セネカ新訳

天体観測手帳

 今年に引き続き、来年も天体観測手帳を使うことにした。
 小さすぎて、工夫しないと上手く使えないのが難であるが(予定が多くて、書き込みがたくさん必要な人には無理だろう)、大きな手帳を買っても余白ばかり目立つ。私にはちょうどいいのかもしれない。そもそも私は予定を書き入れることがほとんどどなく(そもそも予定がほとんどなく)、やったことを書くだけである。
 一番よいのは、天体観測手帳だけあり、深夜帯も含めて24時間の目盛りがあること(1日が2段になっている)。規則正しく過ごしていれば、夜から朝にかけては何も書くことはないが、空いたスペースにはまた別の使い道がある。

セネカ新訳

 セネカの原典講読の際には、茂手木元蔵の旧訳を参照していた。
 茂手木はセネカの哲学的著作を全部翻訳しているので(東海大学出版会)、いずれそれを買うつもりでもいた。翻訳に少し問題があるのは承知しているが、岩波書店の「セネカ哲学全集」は古本でも高すぎるのだ。
 しかし、先日、どうしても理解のできない誤訳に出会った。ラテン語と英語のレベルを相当に疑わなければならないほどである。茂手木の全集も、岩波のそれに比べればお買い得には見えるが、決して安価ではない。購入を一旦思いとどまった。
 岩波の全集は一部文庫になっている(収録作品は茂手木の旧訳とほぼ一緒だが、『賢者の恒心について』1編が加わっている)。しばらくはこれを使いながら、どちらの全集を買うべきか、あるいはロウブの英訳だけで十分なのか、考えたい。


 今後は原典講読の参考に兼利琢也訳『摂理について』(『怒りについて 他二篇』所収)を使う。茂手木が『神慮について』と訳していた作品である。
 ちなみに、問題の部分の兼利訳は次のとおりである。

他方、甘やかすのがよいと思える者たち、大目にみてやるのがよいと思える者たちは、来るべき悪のため、柔弱なままにとっておく。(p.27)

 もちろん茂手木訳とはまったく違う。

しかし、神が恵みを垂れ、大切にしていると思われる人々には、神は今後の不幸が軽くすむように監視している。

 だが、私が考えていたのともちょっと違うようだ。私はvideturを「一見~に思える」としていたが、兼利訳では「~するのがよいと思える」と取っている。すると、その人たちは過度の幸福に浸っている人とは同じなのか、別なのか。私にはよく分からない。

参照記事