セネカというと、どうしてもネロの教育係であったということが引っ掛かる。ネロの親族殺しにも何らかの形で関わっていたとも言われる。
モンテーニュは、しかし、キケロの虚飾を好まなかったのに反して、セネカの言葉の真実を高く評価する。ネロから命じられた死を従容として受けた最期が好きだったのでもあろうし、自分を聖人君子とは認めていなかったということ、自分に言い聞かせるかのように文章を書いたのだということに、共感を覚えていたのかもしれない。
セネカが生きていた当時から、言行不一致に対して非難する人たちがあったようだ。『幸福な人生について』から引用してみる。
そこで哲学を罵倒する者たちの誰かが、例のごとく次のように言ったとする。「それではなぜ君は、実際の生活以上に偉そうな口をきくのか。なぜ目上の者の前では言葉を卑屈にしたり、金銭を自分に必要な道具だと考えたり(・・・)するのか。また、君はなぜ、自然の必要が要求する以上に広い耕地を持っているのか。なぜ君は自分が教えているとおりに食事をしないのか(・・・)」と。更にお望みならば、こう言い足してもよい。「なぜ君は海の向こうにも財産を持っているのか。なぜ自分にも分からないほど莫大な財産を(・・・)」と。(p.151-152)
財産については、人がその主人となって奴隷とならない限り、ないよりある方がよいのだということを後で述べているが、さしあたって彼は、このような問いに対してこう答えるのである。
私は賢者ではないし、また(・・・)私は賢者にはなれないであろう。だから私に要求してもらいたいのは、私が最善の人間と同等になることではなく、悪い人間よりも善くなる、ということである。毎日毎日自分の欠点を幾らかでも取り除き、また自分の過失を責めること、これができれば私には十分である。(p.152)
哲学者たちが語るのはどのような生活を送っているかではなく、どのような生活を送りたいかであるのと同様に、彼もまた徳を語るのであって、自分自身を語るのではないというのである。
モンテーニュは徳を語ると同時に、自分自身を語った。だから彼の目には、セネカはやや硬くこわばっているように感じられた。だが、そこにはセネカの弱さがあり、徳への不断の憧れがあったのだろうと信じた。
私には本当にセネカを信じていいものかどうか、まだはっきりとはしない。
同じく『幸福な人生について』の中に、エピクロスに対する面白い意見が述べられている。
私はといえば、実は次のような見解をもっている。もっとも、こんなことを言うと、われわれストア派の仲間は嫌がるであろうが。すなわち、エピクロスの説くところは崇高であり、また道徳的にも正しく、間近に寄ってよく見れば、厳格でさえもある。つまり、彼の説く快楽なるものは、結局は小さな狭い範囲に帰着するのであって、われわれストア派の者が徳のために主張する法則と同じ法則を、快楽のために主張している。(p.143)
モンテーニュはストア派からエピキュリアンに転向したと言われることもあるようだが、もしかしたらセネカの方がよほどエピキュリアンであったのかもしれない。