本の覚書

本と語学のはなし

モンテーニュ/宮下志朗

 私のイメージするモンテーニュ像が過不足なく紹介されていた。自らの全訳から惜しみなく原文が引かれている。これもまた、私の印象に残っている言葉たちばかりであった。
 モンテーニュ入門を探している人があるなら、第一におすすめしたい本である。


 宮下志朗の翻訳は1595年版を底本とする。
 多くは後に見つかったボルドー本というのを使う。モンテーニュ直筆の書き込みがあるもので、文章の書かれた年代が分かるように(a)、(b)、(c)の記号を付けて印刷するのが一般的となっている。関根秀雄訳も原二郎訳も、これを使っている。
 宮下はその偏りを是正しようと考えたのだろう。モンテーニュの影響を強く受けた(そして強く反発もした)パスカルやルソーも1595年版を読んでいた。後から加えられた記号など、専門家でなければ邪魔でしかない、というのである。
 1595年版はモンテーニュの死後、グルネー嬢という人によって校訂された。ボルドー本にはない文章も少しある。一番問題とされたのは、手放しのグルネー嬢礼讃の文章である。一時は彼女が勝手に自作して付け加えたのではないかと言われた。しかし、ボルドー本の該当箇所には挿入の記号があり、またかつて別の紙を糊付けしていた跡も確認されるという。今ではボルドー本を底本とする場合でも、括弧付きでこの文章を載せている。
 私が持っているプレイヤード版はボルドー本を使っているが、2007年に出た新版では1595年版を採用したという。どちらが絶対ということがない以上、併存するのが望ましいのである。


 モンテーニュの引用について一言。
 ラテン語の引用は至るところに見出される。多くは韻文である。モンテーニュ自身は誰の文章であるかなど書かないが、普通のテキストでは注釈を付けてくれる。関根は本文中に括弧を付けて、作者名のみ。原は後注で、宮下は本文中に括弧を付けて、作者名、作品名、番号(古典は参照しやすいように、文章に何かしらの番号が振られている)など。
 しかし、モンテーニュはたちの悪いことに、自家薬籠中の古典を、巧みにアレンジし、あるいは換骨奪胎しながら、本文中にもすき込むことが多いのだ。こういうのは関根や原ではほとんど触れられないと思うが、宮下は後注で指摘してくれることがある。

ところで、従来から『エセー』の標準的なエディションとされてきたものは、二人の編集者の名前を採って、「ヴィレー=ソーニエ版」と略称されている。そして、このヴィレー=ソーニエ版の『エセー』には、「モンテーニュの蔵書カタログ」が添えられている。モンテーニュが所蔵し、繙読したとおぼしき書物のリストに加えて、『エセー』での活用状況も記されているから、便利この上ない。(p.67)

 こういうものを(それだけではなさそうだが)上手に利用してくれているのだろう。
 そして、明確で直接的な引用でない利用においては、セネカプルタルコスの散文が大いに活かされるのである。