本の覚書

本と語学のはなし

オデュッセイア(下)/ホメロス

 後半はオデュッセウスが故郷イタケへ帰ってからの話。
 屋敷では、妻ペネロペイアへの求婚者たちが好き勝手に飲み食いをして、財産を食い潰している。
 オデュッセウスはひとまず乞食に身をやつし、彼らに近づき機会を窺うとともに、使用人たちの素行を調査する。
 ペネロペイアを賭けた弓競べが行われたとき、オデュッセウスと息子テレマコス、さらに忠僕の豚飼いと牛飼いは、無勢ながら女神アテネの助勢もあって、求婚者たちを皆殺しにする。
 不忠の女中たちは、死骸の後片付けの手伝いをさせられた後、きれいな死に方では死なせたくないというテレマコスの希望通り、高く縛り付けられ、首には綱が巻き付けられた。
 不忠の羊飼いは、鼻と耳を切り落とされ、犬に食わせるべく陰部はむしり取られ、手足も切断された。
 楽しい空想冒険譚のようなつもりで読んでいると、実はなかなかに陰惨なラストを迎えるのである。


 オデュッセウスの名前の由来が説明されているところがある。
 母方の祖父アウトリュコスが名付け親である。

 娘も婿もわしのいう名を付けるがよかろう。わしはこれまで、稔り豊かな大地の上で、男女を問わず多くの人間に憎まれてオデュッサメノス来た。さればこの子には、オデュッセウスという名を付けるがよい。(19巻、p.194)

 松平千秋の注釈を引用しておく。

 アウトリュコスが孫にこの名を付けた理由は、自分がこれまで様々な悪事を働いて世人から恨まれ憎まれてきたから、孫の名も「憎まれっ子」としよう、と解するのが自然であろう。ところがodyssomaiという動詞は、形は中・受動相であるが、語義は能動で「憎む、怒る」を意味し、受動的な意味はない。従って、文法的には無理な解釈になるが、もともとこれはギリシア人の好きな通俗語原解釈、つまり語呂合わせ、または駄洒落の類であると考えれば、やはり一番自然な解釈といってよかろう。(p.338-339)

 そういうことであるから、ロエーブの英訳も紹介しておく。

Inasmuch as I have come here as one that has willed pain to many, both men and women, over the fruitful earth, therefore let the name by which the child is named be Odysseus.

 ここでは、odyssomaiは本来の語義通りwill pain toと訳されている。そして、オデュッセウスという名はman of painという意味を担っているのだろうと考えられている。