本の覚書

本と語学のはなし

神統記/ヘシオドス

 高校時代、巻末の系譜図をノートに書き写して、記憶しようとしていた。オリュンポスの神々が覇権を握るまでの話であるから、英雄時代の知識は得られないとはいえ、私のギリシア神話の基礎は、この本で培ったのである。


 ヘシオドスはムーサたちとの邂逅をこう表現している。

彼女たちなのだ (このわたし)ヘシオドス
以前聖いヘリコン山の麓で 羊らの世話をしていた このわたしに 麗しい歌を教えたもうたのは。
まずはじめに このわたしに語りたもうだのだ つぎの言葉を 神盾持つゼウスの娘 オリュンポスの詩歌女神ムウサたちは。
「野山に暮らす羊飼いたちよ 卑しく哀れなものたちよ 喰らいの腹しかもたぬ者らよ
私たちは たくさんの真実に似た嘘話いつわりを話すことができます
けれども 私たちは その気になれば 真実を宣べることもできるのです」
こう言われたのだ 大いなるゼウスの娘 言葉に長けたものたちは。(p.11-12)

 「真実に似たいつわり」とは、ホメロスの詩のことを言うのかもしれない。だが、廣川洋一の注によれば、ホメロスを意識した発言か否かはさほど重要ではなく、むしろ「真実」と「真実らしさ」を峻別したことこそギリシア精神史における際立った事件だったのであり、たとえばクセノパネスやパルメニデスの中にその真正な相続人を見出すことができるというのである。
 たしかに、ヘシオドスの系譜学は、原初においては世界の成り立ちを説明する自然哲学のようであり、ゼウスに至って世界に秩序がもたらされる様は、倫理学の成立を歌っているようでもある。
 そして、この倫理学を人間の世界において考察したのが、『仕事と日』ということになるのかもしれない。


 しかしながら、高校時代の私に一番強烈な印象を与えたのは、突如として現れるヘカテ賛歌であった。