本の覚書

本と語学のはなし

【ラテン語】宵の明星が現れた【牧歌10】

Haec sat erit, divae, vestrum cecinisse poetam,
dum sedet et gracili fiscellam texit hibisco,
Pierides ; vos haec facietis maxima Gallo,
Gallo, cuius amor tantum mihi crescit in horas,
quantum vere novo viridis se subicit alnus.
Surgamus : solet esse gravis cantantibus umbra,
iuniperi gravis umbra, nocent et frugibus umbrae.
Ite domum saturae, venit Hesperus, ite capellae.

 ピエリアの女神たちよ、これで充分でしょう。あなた方の詩人は
座って、か細い立葵たちあおいで小さな籠を編みながら、これを歌いました。
どうかこの歌をガルスがとても気に入るようにして下さい。
ガルスへの私の愛は、春の初めに緑のはんの木が
すくすく伸びていくように、日ごとに大きくなるばかりだから。
 さあ、立ち上がろう。陰は歌う者には害になるものだ。
杜松ねずの木陰は体によくない。陰は作物もいためてしまう。
さあ、家へ帰れ、満腹になった雄山羊たちよ。宵の明星が現れた。さあ、行きなさい。

 ウェルギリウス『牧歌 (Eclogae)』第10歌の最後の部分である。これでとうとう『牧歌』を全部読み終えた。
 次は『農耕詩 (Georgicon)』である。農業詩であるから地味ではあるのだけど、詩人の死によって最後の彫琢を経ることのなかった『アエネイス (Aeneis)』よりも、むしろこちらをウェルギリウスの最高傑作と考える人は多い。これをもってラテン詩の白眉とする人すらある。我がモンテーニュもその一人であるようだ。
 だが、どうだろう。私の人生にも既に陰が長く伸び、宵の明星が昇り初めている。これで充分とするべきではないか、もう満足して家に帰るべきではないか、という気もするのである。


 もしウェルギリウスホメロスをやめるとすれば、新約聖書ラテン語ギリシア語で読むことになる。
 再就職して自由な時間が減ったとしても、聖書ならば続けやすいだろう。何と言っても言葉が素朴で分かりやすい(時々変な文章はあるが)。これまでの蓄積もあるから、詩人たちの場合よりも深く掘り下げることができる。無いに等しい信仰ではあるが、一応カトリックの洗礼を受けたことのある身でもある。
 だが、そうは言っても、明日になってみなければ明日どちらを読むのかは分からない。明日新約聖書を読んだとしても、明後日にどちらを読むかは明後日になってみなければ分からない。


 ところで、仕事探しの方には全然熱心でない。
 離職票が届いたのは2日であったが、失業保険の手続きをしたのはようやく19日になってからであった。2週間も無駄にしたのである。
 その間天気が悪かったり(車を持っていないので、雨だとなかなか行動できない)、昼間に寝ていたり(おかげでまた頭痛持ちに逆戻りである)であったが、要は少しのんびりしたかったのである。
 待機期間は終わったはずであるから、今後就職すれば失業保険が給付される。ただし、これから1か月はハローワークの紹介でないといけない。ここ数年、ほぼ毎日ハローワークの求人を見ているが(ネットで閲覧可能である)、多少魅力があって、年齢制限にも引っ掛からず、私にも合格の可能性がありそうなところを探すのは至難の業である。
 どうなることやら。