本の覚書

本と語学のはなし

【ドイツ語】おれたちはみんな阿呆さ【ダントンの死】

Er mag nun vernünftig oder unvernünftig, gebildet oder ungebildet, gut oder böse sein, das geht den Staat nichts an. Wir alle sind Narren, es hat keiner das Recht, einem andern seine eigentümliche Narrheit aufzudrängen. - Jeder muß in seiner Art genießen können, jedoch so, daß keiner auf Unkosten eines andern genießen oder ihn in seinem eigentümlichen Genuß stören darf.

誰が賢かろうと馬鹿だろうと、学があろうとなかろうと、善人だろうと悪人だろうと、そんなことはどうでもよい、そいつは国家には関係のないことなんだ。おれたちはみんな阿呆さ、他人に自分の愚かさを押しつける権利など、誰にもないんだよ。誰もが好きなように楽しめていいはずだ。ただし他人をだしにして楽しんだり、他人の楽しみを邪魔することは禁物だがね。(第1幕第1場)

 昨日まではラテン語アウグスティヌスを止めて、ドイツ語同様後景に退かせるべきではないかと考えていたのに、今日はアウグスティヌスも止めるまい、ビューヒナーも復活させねばならないという気分になる。
 聖書原典講読のお伴にウルガタ訳やルター訳を読むのも、アウグスティヌスビューヒナーの原文に当たるのも、さして労力に差があるわけではないではないか。そう時々思うのである。
 ただ、ビューヒナーのことは寡作であるという以外ほとんど知らない。専ら寡作ということに惹かれてドイツ語の専門にしようと考えただけだから、もしかしたら全然楽しめないかも知れない。その時には、ルター訳に戻るか、部分的にしか読めないことを承知でニーチェに戻るか、また思案することになる。


 引用したのはエローのセリフ。
 第1幕第1場は1794年3月28日の出来事と推定されている。粛清の恐怖政治に危機感を抱きつつ、革命は終わり、共和制が始まらなければならないと言うのである。