本の覚書

本と語学のはなし

【ドイツ語】その「と」というたった一言がとてつもなく長い言葉なんだぜ【ダントンの死】

DANTON Oh, es versteht sich Alles von selbst. Wer soll denn all die schönen Dinge ins Werk setzen?
PHILIPPEAU Wir und die ehrlichen Leute.
DANTON Das und dazwischen ist ein langes Wort, es hält uns ein wenig weit auseinander, die Strecke ist lang, die Ehrlichkeit verliert den Atem eh wir zusammen kommen. Und wenn auch! - den ehrlichen Leuten kann man Geld leihen, man kann bei ihnen Gevatter stehn und seine Töchter an sie verheiraten, aber das ist Alles!
CAMILLE Wenn du das weißt, warum hast du den Kampf begonnen?
DANTON Die Leute waren mir zuwider. Ich konnte dergleichen gespreizte Katonen nie ansehn, ohne ihnen einen Tritt zu geben. Mein Naturell ist einmal so. Er erhebt sich.


ダントン そう、何から何まで分かりきったことさ。きみらは、そういう大事業を一体全体誰にやらせるつもりだ?
フィリポー われわれと良心派の人々だ。
ダントン 二つの主語の間にある「と」というのは、長い単語でね、二つの主語の間の距離が少し大きすぎるのさ。道のりは長いから、お互いが手を組む前に良心って奴は息切れをおこしちまう。それに、たとえそうでなくってもさ、良心的な連中には金を貸したり、名付け親になったり、娘を嫁にやることはできる。しかしそれ以上のことは期待できないんだぜ。
カミーユ それを知りながら、なぜきみは闘いを始めたのだ?
ダントン 公安委員の奴らが癪にさわったからだ。ああいうふんぞり返った道徳派を目にすると、一発蹴りをくらわさずにはおれなかった。おれはこういう性分なんだ。(立ちあがる)


ダントン おやおや、一切のことは分かりきっているものだ。だけど一体こうしたすばらしい大事業を実行に移すのは誰だと言うんだい。
フィリポー われわれ誠実な同調者たちさ。
ダントン その「」というたった一言がとてつもなく長い言葉なんだぜ。「」っていう一句が僕らお互い同士をかなり遠くまで引き離してしまうんだ。この距離は相当あるぜ。誠実さなんて、誰かと誰かが連携するまでに、すっかり息切れしてへたばっちまうよ。それにたとえ手を握り合えたとしてもたかが知れている。誠実な連中に対してしてやれることといやあ、せいぜい、金を貸すこと、名付け親になってやること、娘を嫁にやることぐらいだね!
カミーユ そこまで分かっているのなら、どうして戦いを始めたんだい?
ダントン その誠実な連中ってのが我慢ならなかったんだ。ああいうそっくり返った謹厳居士たちを見ていると、蹴っとばしてやらずにはいられなくなるんだ。僕の生まれつきの気性がこうなんだからな。(彼は立ちあがる)


 『ダントンの死』第1幕第1場より。
 問題は「die ehrlichen Leute」である。
 鳥影社全集では「良心派」と訳されている。注釈を見ると、その実体は「国民公会で当時沼沢派あるいは平原派とと呼ばれた、中間派のこと」であるという。彼らと組むことが出来ないならば、なぜ敢えて闘うのかと問われて、ダントンは「公安委員の奴ら」(原文は「die Leute」であり、単に「あの連中」である)が癪にさわったのだと答える。


 岩波文庫の岩淵訳では「誠実な同調者」(フィリポー)もしくは「誠実な連中」(ダントン)と訳されている。ダントンの戦いの相手は「その誠実な連中」であり、「そっくり返った謹厳居士たち」(カトーのような連中)である。全て同じ連中を指しているようだ。
 フィリポーは恐怖政治には批判的であったが、まだロベスピエールらと(まがりなりにも)革命を進めることが出来ると考えているのに対して、ダントンにその意志はない、ということだろうか。カミーユの問いは釈然としないが、ダントンの行動への意志の欠如とそれにもかかわらず蹴りを入れたパッションとの齟齬を問いただしたものであろうか。
 あるいはダントンは、前半では一般的な話をしておいて、後半に至って「誠実」を皮肉として用い(後半の原文には「誠実」に当たる言葉はないが)、フィリポーが念頭に置いていたのとは異なる、特定の人たちに言及したものだろうか。


 これから岩波文庫の翻訳で主要三作品を読む。そこで強く惹かれないようなら、原文もストップしてよい。
 原文を続けると一旦決めたとしても、ビューヒナーを読むにはいろいろ困難があるだろう。負担が大きすぎると感じるなら、いつでも放棄してよい。
 さっそくニーチェもしくはルター訳聖書に戻ることを検討するだろう。