本の覚書

本と語学のはなし

モンテーニュ全集5 モンテーニュ随想録5/モンテーニュ

 第2巻の第13章から第37章までを収める。1580年版はこれで終わる。『エセー』の中でも重要視されている第3巻が加わるのは、1588年版以降のことである。
 なお、本文に(a)とあるのは1580年版および1582年版のテキスト、(b)は1588年版の増補部分、(c)は晩年の加筆部分である(したがって、第2巻までは(a) (b) (c)が混在し、第3巻以降は(b)と(c)のみになる)。

 (a) 我らの医術を愛する人々には、やはりそれ相当にもっともな、大きな強い理由があるにちがいない。わたしは決してわたしの思想に反する思想を憎みはしない。わたしの判断と他人のそれとの間に大きな食いちがいがあるのを見ても、どうしてどうして、わたしはいきり立つどころではない。人々が自分とは異なる分別を持ち、異なる意見を持つからといって、それらの人々との交際に背を向けるどころではない。むしろあべこべに、変化こそ自然が採用した最も一般的な態度なのであるから、(c) それは物体においてよりも精神においてますます多くあるのであるから(なぜなら精神の方こそより柔軟でより多くの形を与えられやすい実体なのであるから)、わたしは我々の考えや企てが一致したら、かえってその方を珍しいと思う。まったく世に二つと同じ意見はなかった。二筋の髪・二粒の穀粒(たね)が同じでないように、人々の意見に最も普遍的な性質といえば、それはそれらが多様であることである。(2.37 子供がその父に似ることについて)

 関根秀雄によれば、モンテーニュが医学を信用しないのは、当時の医学が実験に基づかなかったからであって、現代に生きていれば必ず科学的治療を受けていただろうと言う。彼は結石を患っていた。その闘病の記録は、実験医学の遠い先駆者と言いたくなるものらしい。『旅日記』(関根の全集第8巻に収められている)を参照のこと。
 モンテーニュの根本思想は終始変わらないというのは関根の持論である。人間精神の多様性を認める姿勢もまた、第1巻第1章、第3巻第13章、最終章にも述べられるものであるという。すなわち、(a) (b) (c)のすべての時期を通じて、その点に変わりはないのだと。


【家庭菜園】
 トマトはたくさん収穫できて嬉しいのだが、最近は中玉もミニもほとんど実割れする。


 キュウリは去年の今頃はうどんこ病にひどくやられて、もう片付けていたのだが、今年はまだよく採れる。
 そのため一緒に育てているゴーヤーに日光が当たりにくい。そのせいかゴーヤーの成りが悪い。来年は別々に育てよう。


 ササゲの収穫が始まっている。


 エンサイ(クウシンサイ)は今日で終わりにした。まだ当分収穫は出来るのだが、どうも母の気に入らないようだ。


 今日、セルトレイにサニーレタスの種をまく。


 来年からはあまり労力をかけず、品目を減らし、単純な畑作りを心がけることになるだろう。
 エンサイ、ツルムラサキラッカセイ、オクラ、ニンジン、春ダイコン、コマツナシュンギク、ササゲ、種から作るキュウリはリストラ候補である。
 春の畑はトマト、キュウリ、ゴーヤー、エダマメ、つるなしインゲン、サニーレタス、葉ネギ。秋の畑は空いたところに、ダイコン、カブ、サニーレタス。冬の畑はタマネギ。モロヘイヤは母が苗を買ってくれば植えるが、おそらくほとんど収穫されることはない。