「白銀号事件」では車窓から見える電柱を頼りに、機関車の時速を割り出している。「ブルース・パティントン設計書」では、ロンドン市内の地下鉄の線路で見つかった死体から、事件の核心に迫る。
しかし、自動車が登場するのはようやく「最後の挨拶」においてである。
ホームズの移動手段の中心は、何と言っても辻馬車であった。
ジェイン・オースティンでも馬車が中心である。
裕福であれば自分で所有しているし、そうでなければ知人に貸してもらう。『エマ』においてエルトン夫人は、確か兄が所有するバルーシュ型ランドー馬車をやたらに自慢する。『ノーサンガー・アビー』のヒロインは知人の家から放り出されて、余儀なく駅馬車に一人で乗って故郷まで帰らなくてはいけなくなる。
しかし、『高慢と偏見』のジェインはビングリーの屋敷まで馬に騎乗して行っている。道中雨に濡れて病気になった姉を見舞うとき、馬車の都合もつかず馬にも乗れないエリザベスは、ぬかるんだ道を徒歩で行き、泥に汚れてビングリー姉妹を驚かせる。
しかし、これより以前になると、ヨーロッパの道路はとても馬車を走らせるほど整備はされていなかったようだ。
エリザベス女王の時代の馬車事情については、こう書かれている。
馬車は〔ローマ帝国時代以来ようやく〕復活したものの、道路のひどい状態を反映して、陸路の旅はもっぱら騎乗か徒歩でおこなわれ、馬車は主として都市内の交通手段として利用されていた。都市の中の道路は部分的とはいえ舗装されていたし、舗装されていなくても地方の幹線道路よりははるかにましな状態だったからである。とは言っても、一雨降るとひどいぬかるみとなり、多くは通行不能となる有り様だった。(p.87)
シェイクスピアの移動手段は調べてはいないが、そう簡単に馬車が使えたとは考えられないようだ。
モンテーニュがイタリアに旅行したときは、馬に乗っている。
この本は古代から鉄道や自動車が発明されるまでの、馬車と旅の歴史を辿るものである。
したがって、エルトン夫人がバルーシュ型ランドー馬車の自慢をする場合のような、馬車の形態と社会的意味を探るには向いていない。著者自身も、そう言う目的ならば鹿島茂の『馬車が買いたい』(白水社)を読むよう薦めている。
【家庭菜園】
6月30日。
BとDのダイコンを収穫し終える。
Bのダイコンの跡にニンジンの種を撒く。
Cのゴーヤーの親づるを摘芯する。
キュウリもそろそろ支柱のてっぺんまで届きそうだ。ただ、今のところ実が大きくなることはない。肥料不足だろうか。
Bのトマトを誘引。これももうすぐ支柱のてっぺんに届きそう。
中玉トマトもミニトマトも2本仕立てであるが、途中からは放任にした。
セルトレイのラディッシュは徒長しすぎたので諦めた。
培土をそのまま利用して、今度はミズナの種を撒く。ミズナなら水が多すぎても大丈夫だろうかと思ってみたのだが、上手くいかなければセルトレイで収穫まで育てる試みはこれで終了にする。
7月1日。
Dのサニーレタスを収穫し終える。
DとEにセルトレイで作ったサニーレタスの苗を定植する。もうレタスには熱すぎるのではないだろうか。そうでなくても軟弱な苗である。今回は育たずに終わりそうだ。
Dの直播きと自作苗のキュウリのために、支柱にネットを張る。
BとFのつるなしインゲンの実が大きくなってきた。収穫後のリレーを見据えて、セルトレイにコマツナの種を蒔く。
しかし、常に畑に空いた場所がないよう頑張る必要はないのかも知れない。Fの真ん中の列にはツルムラサキが植えてある。それで十分ではないか。
7月2日。
Eのエンサイを初収穫。Eの畝を全部エンサイにしてしまったので、収穫したのはごく一部にすぎない。
これからわき芽が旺盛に伸びてくる。それを収穫し続けることが出来る。真夏でも勢いは衰えない。なかなか便利な野菜である。