本の覚書

本と語学のはなし

【フランス語】享楽の真最中にとらえる

Oeuvres complètes de Montaigne

Oeuvres complètes de Montaigne

  • メディア: ハードカバー
 モンテーニュ『エセー』1巻2章(悲哀について)より。下は関根秀雄訳。

Et de là s'engendre par fois la défaillance fortuite, qui surprent les amoureux si hors de saison, et cette glace qui les saisit par la force d'une ardeur extreme, au giron mesme de la joüyssance. Toutes passions qui se laissent gouster et digerer, ne sont que mediocres,
   Curæ leves loquuntur, ingentes stupent.

実にそうしたことから突然の衰弱が生じて、時をわきまえずに、恋人たちを襲うのである。いやこの氷は、非常に強い力で彼らを享楽の真最中にとらえるのである。すべて味わわれ消化される感情は平凡なものにすぎない。

   軽い物思いは饒舌。深い感情は無言。(セネカ

 原文テキストのイタリックになっている部分は、引用である。モンテーニュの場合、大抵はラテン語の韻文から取られている。当時はそんな必要も感じなかったのだろう、誰の文章であるかなど書かれていない。
 関根はそれを尊重して、出来ればそのまま訳したかったのだけれど、現代人の便宜のために仕方なく著者名だけを括弧に入れて示してくれた。もう少し補足しておくと、セネカの悲劇『ヒッポリュトス』Ⅱ.3.607からの引用である。


 大分前になるが、現代フランス語訳を手に入れた。
 現代の綴りに直し、現代の文法や言い回しに合うよう必要最小限の手を加えたにすぎないが、これが思いの外便利である。以来、16世紀のフランス語で分からない点がそのまま現代フランス語でも分からないという場合を除き、英訳を見ることはほとんどなくなった。
 古典語の翻訳でもそうだが、英語は意味を明確にするため、しばしば大胆に構文を変更する。これは諸刃の剣であって、初学者にとっては原文の構造がますます謎めいてくることがある。


Les essais (en francais moderne)

Les essais (en francais moderne)

Et par là s'engendre parfois la défaillance fortuite, qui surprend les amoureux si hors de saison, et cette glace qui les saisit par du fait de la force d'une ardeur extrême, au sein même de la jouissance - accident qui ne m'est pas inconnu. Toutes les passions qui se laissent goûter et digérer ne sont que médiocres.
   Curae leves loquuntur, ingentes stupent.
   [Les soucis légers sont bavards, les grands sont silencieux.]

 綴りや冠詞以外で変更されたところを挙げてみる。
 「par la force de」が「du fait de la force de」となった。これで「par」という前置詞のみに頼っていた「~によって」という意味が明瞭になった。宮下訳では「あまりに激しい情欲のせいで」となっている。
 関根訳で「真最中」と訳されている語が「au giron」から「au sein」に置き換えられているのは、語彙の変遷のせいだろう。どちらも「胸」を意味する語で、転じて「真ん中」を表すようになった。官能的なニュアンスを漂わせているような気もする。
 一番大きな違いは「accident qui ne m'est pas inconnu」が加えられていること。しかし、これは翻訳の問題ではなく、使用テキストの違いである。プレイヤードの注によれば、1588年版のある異本にこの「打ち明け話」があったそうだ。その原文は「accident qui ne m'est pas incogneu」であるから、綴りを直したにすぎない。セックスの最中にすら、あまりに激しい情欲のために、インポテンツに見舞われることがある。それを「私も知らないわけではないアクシデント」と漏らしているのである。
 モンテーニュは禁欲的修行僧のような聖人ではなく、けっこう好色なところがあったように思われる。もちろんそれは語りうるほどの平凡な好色であったかもしれないが。


【家庭菜園】
 19日、去年買った緑肥の種を撒いてみた。ライムギ、エンバク、クリムソンクローバである。
 まだ寒い。無事発芽してくれたら、こんどは緑肥ミックスを通路に撒くことにする。


 同じく19日、25穴のセルトレイを購入し、葉ネギ、レタス、コマツナの種を撒いてみた。
 室内に置いている。上手くいきそうなら、もう一つセルトレイを追加し、コマツナチンゲンサイの苗を作るかもしれない。ツケナ類まで育苗するようになったら、もう自然農とか自然菜園の概念からは外れてしまうかもしれないが。