本の覚書

本と語学のはなし

モンテーニュ全集1 モンテーニュ随想録1/ミシェル・ド・モンテーニュ

 フランス語、ドイツ語、英語に関しては、原典講読を一旦休止し、専門とすべきものの全体像を先ずは翻訳によってつかむことにした。
 フランス語の専門はモンテーニュラブレーラブレーは本当に難しそうである。モンテーニュが読めるならちょっと先輩のラブレーも大丈夫でないかと思うかもしれないが、問題は言葉の古さと言うよりハチャメチャ加減である。翻訳(宮下志朗)からもそれは伝わってくる。
 もしラブレーが難しすぎるとか、時間の浪費であると考えるようであれば(翻訳では読み通すつもりであるが)、代わりにフローベールを学ぶことにしよう。


 モンテーニュは関根秀雄訳で読む。
 関根訳を選択した理由は三つある。冒頭にモンテーニュの生涯を記した解説があって、それを読んだ行きがかり上。『エセー(随想録)』のみならず、旅日記や書簡集なども含む全集であること。章の初めに梗概というか、指針のような文章があり、時には章の最後に解説も付いていること。
 モンテーニュには膨大な引用や、テーマの借用などがあるが、関根訳では出典はほとんど示されない。直接引用の場合のみ、括弧で人名が記されるだけだ。事件や人物に対する注もほとんどない。そうしたことが、「私が目ざす読者にとってはあっても役に立たないと思ったからである」という。
 訳は多少古いかもしれないが、あまりそうは感じさせない。読みにくいところがあるとすれば、大部分はモンテーニュ自身のせいだろうし、時々は訳者の誤解のせいかもしれない。
 もっと分かり易い方がいいというのであれば、宮下志朗の新しい訳を読むといい。ただし、モンテーニュの文章は後の加筆がたくさんあるため、通常 (a) (b) (c) などの記号を用いて書いた時期を明示するのだが、宮下訳にはそれがない。また、それとも関連するらしいが(そして、それがどういう意味を持つのか私はまだ知らないが)、一般的なボルドー本ではなく、死語に出版された1595年版を底本としている。一応、手に取る前に知っておいた方がいいだろう。
 もし一つだけしか選べないならば、個人的には原二郎訳を取るだろう。


 『随想録1』は、第1巻の第1章から第23章まで。