本の覚書

本と語学のはなし

購入12-1

 古本で聖書の邦訳をまとめ買い。フランシスコ会訳が私のベースになりそうだが、これらの訳にも一応全部目を通しておこうと思っている。

 むかし函入りでセット販売された岩波文庫版聖書。旧約は関根正雄訳の『創世記』『出エジプト記』『サムエル記』『ヨブ記』『詩篇』『イザヤ書(上・下)』『エレミヤ書』『エゼキエル書』『十二小預言書(上・下)』。新約は塚本虎二訳の『福音書』。岩波文庫には塚本訳『使徒のはたらき』も収められているが、このセットには入っていない。注釈や説明の文字が小さいのが難点。
 塚本は無教会派の内村鑑三の弟子。関根は内村と塚本の弟子である。

 旧約聖書の新訳であり全訳である。「新訳」なので岩波文庫の訳と同一ではないし、「全訳」なので岩波文庫で読めないものも収められている。残念ながら、岩波文庫のような注釈はあまりない。

 新約聖書の全訳。岩波文庫で読めないものも収められている。原文にない語句を補った場合には、ポイントを下げてそれが分かるようにしてある(くどいくらい挿入されている)。注釈つきだが、巻末にまとめられている上、本文には注が付いているという印がないので、使いにくそうだ。

 新約聖書の全訳。これだけはまだ届いていないので、内容は不明。
 前田は塚本の弟子である。なぜ無教会派の人たちは聖書を個人訳したがるのか。これが彼らの信仰告白となるべきものなのだろうか。

 新約聖書の全訳。注釈はないが、旧約の参照箇所は示してある。新約の並行箇所は示されていない。
 柳生は無教会派とは関係ないようだ。牧師の息子で、英文学者としてバニヤンやC. S. ルイスなども訳している。新約を個人で訳したのは、口語訳が丸山才一に悪文と謗られたのに発奮したためである。

 旧約聖書翻訳委員会『旧約聖書(全10冊)』、新約聖書翻訳委員会『新約聖書(全5冊)』、荒井・小林・大貫・筒井訳『ナグ・ハマディ文書(全4冊)』。
 聖書は合本も出版されているが、注や写真が大幅に割愛されているので、あえて分冊の方を購入した。
 ナグ・ハマディ文書はグノーシスの文献。グノーシス主義は、旧約の創造主は悪神であり、新約の愛の神とは別の存在であるとする。キリスト教とは見做されないが、初期キリスト教(あるいは現代にいたるまでのキリスト教)を考える上では、決して無視できない思想である。

 上記『ナグ・ハマディ文書』の姉妹編。「ユダの福音書」も収められている。

 今となっては幻の共同訳。固有名詞がギリシア語原典に忠実にギリシア風になっている。例えばイエスがイエスス(カトリックのイエズスではない。あれはラテン語の教会読み)、マタイがマタイオス、ヨハネがヨハンネス。注釈は講談社から出版するにあたりカトリックの堀田雄康がつけたもので、日本聖書協会から発行された時にあったものではない。


 主要な邦訳聖書は入手した。これらの他にも、簡単に入手できるものはまだある。
 ラゲ訳『新約聖書』。ネット上で無料で見ることができるし、廉価なキンドル版も出ている。
 『リビングバイブル』(いのちのことば社)。分かりやすい日常語を用い、かなり大胆に意訳した聖書。
 尾山令仁訳『創造主訳聖書』(ロゴス出版)。今では入手困難になった『聖書 現代訳』を底本としつつ、神を創造主に置き換えたものらしい。個人で旧約と新約を全訳したのはすごいが、タイプとしては『リビングバイブル』の同類のようだ。
 池田博訳『新約聖書』(幻冬舎ルネッサンス)。池田の師である手島郁郎は、内村鑑三に学び、後にキリストの幕屋を創始した人である。キリストの幕屋の詳細は知らないが、国粋主義シオニズムを特徴としており(日本ヘブライ文化協会の母体らしい)、主流派のキリスト教会からは異端と目されている。池田がどの程度キリストの幕屋と関わっているかは分からない。
 中沢洽樹『旧約聖書』(中公クラッシックス)。部分訳。
 カトリックの神父・本田哲郎の新約が新世社から出ているが、書簡の一部や黙示録が未刊の上、既刊分も古本でしか入手できない。
 カトリック信徒で医師の山浦玄嗣がギリシア語原典からケセン語に訳した福音書が、イー・ピックス出版から出ている。ローマ教皇庁にも献上されたという。
 ナニワ太郎&大阪弁訳聖書推進委員会による『コテコテ大阪弁訳「聖書」』(データ・ハウス)はマタイのみの訳出。原典訳か重訳かは分からない。

 以上は購入予定は全くないけど、田川建三新約聖書訳注(作品社)はぜひとも見てみたい。
 数年後には日本聖書協会から新々共同訳が出るかもしれない。これも必ず入手しなくてはならない。