第四回十字軍は本来の目的から外れ、ヴェネツィアの商業利益のためにコンスタンティノープルの略奪に終わったとして、悪名高い遠征である。
実際のところ、十字軍がヴェネツィアと結んだ契約を履行できそうにないために、ヴェネツィアの要求を受け入れて落としたのは、当時ハンガリー領となっていたザラである。コンスタンティノープルの方は、ビザンツの内紛に巻き込まれる形で展開していったのであって、元来ヴェネツィアの予想していたところではなかったようだ。しかし、そこから莫大な利益を引き出したために、十字軍転向の犯人として仕立てられたのだろうという。
フランス王ルイ九世の二回目の十字軍 *1は、なぜかチュニスを目指した。その理由はいろいろ推測されているが、シチリア王となっていた王の弟のためである可能性が高い。ドイツのシュタウフェン家がシチリアを経営していた頃、チュニジアはシチリアに年貢を納めていた。ところが、フランスがシュタウフェン家の支配を覆してからはこれをやめ、しかもシュタウフェン家の残党を匿っていたのだ。
ルイ九世は先ずチュニジアを陥落させて弟の利害を満足させ、しかる後にエジプト(マムルーク朝は当時のイスラムの中心となっていた)へ兄弟そろって遠征するつもりであったのかもしれない。だがチュニス上陸後、早々に疫病に襲われ亡くなってしまった。
*1:日本の教科書では第七回十字軍として数える。