『中国名詩選(中)』より、陶淵明の「飲酒 其七」の最初の四句。
秋 菊 有 佳 色 秋菊 佳色有り、
裛 露 掇 其 英 露に裛し其の英を掇る
汎 此 忘 憂 物 此の忘憂の物に汎かべて
遠 我 遺 世 情 我が世を遺るるの情を遠くす。
秋の菊がみごとに花開いた。露にぬれたその花びらをつんで、「憂いを忘れる物」といわれるこの酒に浮かべると、世俗から遠く離れたわたしの心がいっそう深まるようだ。
問題は二句目。「露に裛し其の英を掇る」という読み下しを信じるならば、「裛露」は連体修飾句として「英」に係っていることになる。動詞を飛び越え文頭に置かれることによって、主題化されているようだ。
『陶淵明全集(上)』を見てみる。読み下しは「露を裛うて其の英を掇る」となっている。これだと作者が露に濡れながら菊を摘んでいるという意味になりそうだが、訳は「露にぬれたその花びらをつんで」と上と全く一緒。構文の把握では一致しているが、読み方の癖に違いがあるだけのようだ。
詩の語順なんてあってないようなものだなどと言わず、できれば注でしっかり解説してほしいのだが、いずれもこのことにはまったく触れていない。仕方ないので『はじめての漢詩創作』を見ていたら、修飾語の位置が変わる例が幾つか挙げられていた。
例えば杜甫の「生長明妃+尚有+村(明妃を生長して尚お村有り)」というのは、散文なら「尚有+生長明妃+村(尚お有り明妃を生長せし村)」という並び方になるところだという。
ひょっとして、漢詩を読む人にとっては常識だったのだろうか。