本の覚書

本と語学のはなし

「帚木」耳はさみ

また、まめまめしき筋を立てて、耳はさみがちに、美相びそうなき家刀自とうじの、ひとへにうちとけたる後見うしろみばかりをして(帚木5)

そうかといって、家事一点張りで、額髪ひたいがみを耳挟みがちにして、美しげのかけらもない世話女房が、ただひたすら見ばえぬきの世話ばかりして


 「雨夜の品定め」において、左馬頭ひだりのむまのかみが語る言葉。
 「耳はさみ」とは、髪が顔にかからないよう両耳に挟んで後ろにやり、耳を露出した姿を言う。現代ではしぐさも含めてこれを好む男性は多いけど(私はそれについて熱く語る資格を持たない)、平安時代には、実務的な印象を与えすぎるので、品がよくないと思われていた。
 ここで想定されているのは、もともと「美相」のない女性なのかもしれないが、それよりも、「耳はさみがち」であることが「美相」のない女性を形成すると取った方がいいような気がする。


 昨日は兄一家が食事に来た。甥の大学進学祝いである。
 高校では陸上部に所属し、ずっと長距離を走っていた。大学でも陸上を続ける。将来は中学の先生をしながら、陸上の指導をするつもりらしい。大変にしっかりしていて、よくできた青年である。
 彼の父は高校を中退し、上の伯父は宗教に嵌って行方不明になり、下の叔父は大学を留年し転職を繰り返して零落の縁にあるが、そのような気質は微塵も持ち合わせていない。我々が悩み、今も悩んでいるようなことは、軽々と越えていく。というより、そんな悩みはそもそも存在しない。世代が変わっていくのだ。
 私は私のような人間を再生産することをいつも恐れていたけど、杞憂に過ぎなかったのかもしれない。兄は我々兄弟の失敗を繰り返さぬよう振る舞い続けた。我々の父と母の元では奇形しか育たなかったが、それに学べば、次の世代にはまっとうな人間を育てることができたのである。
 頼もしくも感じるが、この世代の差はあまりに大きい。彼と私とはまったくの他人である。奇形の元で徒花として咲いた浮世離れの知識たちも、彼の前では力なくしおれてゆくしかない。