本の覚書

本と語学のはなし

研修中


 月曜日から塾の研修を受けている。春期講習のテキストを使って模擬授業をする。1人で練習し、社員の前でやってみせる。だいぶ形にはなってきたが、他の講師に較べればテンションはかなり低めだろう。
 大きめの塾なので、授業内容を統一するために、各授業ごとにマニュアルが作られている。何を板書し、どう進行するか、授業内の演習ではどの問題を取り上げ、宿題としてはどの問題を課すか、そういうことが全部決められている。基本的に講師の自由は認められないし、脱線する時間的余裕もなさそうだ。楽といえば楽なのだけど、つまらない。今受けている研修は中学部のもので、高校部では若干講師の裁量が認められている気はするが。


 講師は一般的に対象科目の真のプロでも愛好家でもないようだ。授業マニュアルを見れば、中学国語の責任者に古文を読む力がまったくないのは明らかだ。ほとんどの講師が英語を教える中、私より読解力のある人など2人以上いるとも思えない。彼らのプロとしての全精力は生徒の成績を上げるという一点にしか向かわないから、それに役立つ範囲を超えて対象科目を知ることはできないのだ。


 久しぶりに総務の人と顔を合わせた。高校数学は本当にできないのか、簡単でしょう、と言われる。そんなに簡単なら、なぜお宅の高校部の社員に数学と英語を両方教授できる人材がないのか、あるいは中学部の数学講師の中に高校数学を兼任できる人材がないのか、この塾の講師は無能の集まりだと自分で白状しているようなものではないか、と思うが口にはしない。高校は英語だけでお願します、と言っておく。あからさまに不快そうな顔をして、シフトを組み直さなきゃいけないなと呟いた。
 ここで社員の道を目指すことはないだろうと思う。まあ、必要に迫られればそうも言ってられなくなるかもしれないが。


 面白い塾がある。社員は3人で小さいけれど、理系の教育に力を入れていて、理科の実験をやったりロボット製作講座を開いたりもしている。そこが現在、中高の英語を教えられるパート講師を募集している。今の塾をすぐに辞めるわけにもいかないので応募はしないが、塾の前に置いてあるパンフレットを貰ってきた(私の家からはこの塾の方がずっと近い)。
 たぶんそこで働いても正社員にはなれないだろうし、個性が強いだけに塾長のあとを引き継げる人もなかなかいないだろうから先行き不透明であるし、趣味みたいなことばかりして本当にもうけは出ているのかという一抹の不安もあるが、気になる。