本の覚書

本と語学のはなし

桐壺「藤壺」

 源氏の君は、御あたり去りたまはぬを、ましてしげく渡らせたまふ御方はえ恥ぢあへたまはず、いづれの御方も、我人に劣らむと思ひいたるやはある、とりどりにいとめでたけれど、うちおとなびたまへるに、いと若ううつくしげにて、切(せち)に隠れたまへど、おのづから漏り見たてまつる。母御息所も、影だにおぼえたまはぬを、「いとよう似たまへり」と典侍(ないしのすけ)の聞こえけるを、若き御心地にいとあはれと思ひきこへたまひて、常に参らまほしく、なづさひ見たてまつらばやとおぼえたまふ。(桐壺14)

 源氏の君は、父帝のおそばをお離れにならないので、帝がときたまお通いの方もそうだが、しげしげとお越しになるお方は、なおさら君に対して恥ずかしがってばかりはいらっしゃれず、どのお方も、ご自分が人より劣っていると思っておられる方があろうか、それぞれにおきれいでいらっしゃるけども、みな多少若い盛りを過ぎておいでになるところに、藤壺は本当に若くかわいらしくいらっしゃって、懸命にお顔をお隠しになるものの、君は、そのお顔だちをしぜんにお見かけ申しあげる。母御息所のことは、面影すらも覚えていらっしゃらないけれども、「まことによく似ておいでになります」と典侍が申しあげていたので、幼心にもほんとに懐かしくお思い申しあげられて、いつもおそばにまいっていたい、親しくお近づきしてお姿を拝していたいと思わずにはいらっしゃれない。


 藤壺(先帝の四の宮)は桐壺(光源氏の亡母)によく似ているというので、帝に請われて入内する。まだ幼くて、帝の行くところにはどこにでもついて行く源氏(ここで初めて源氏と呼ばれ、臣籍降下されたことが明示される)であったが、他の女御更衣は比較的容易に顔を見せていたけど、うら若い藤壺はガードが固い(当時の女性は男性に顔を見せないのが普通である)。それでも自ずからちらりと見える折もある。
 巻頭からここに至るまで、源氏の描写は外面的な素描にすぎなかったが、ようやく内面へと筆が及ぶ。それが藤壺に対する思慕である。まだ恋とは言えない思慕ではあるが、この出会いが源氏の生涯を決定づける。


 古典は休止と言いながら、直ぐにまた読み始めた。気の向かない時は離れてもよい。負担にならないように、細く長くうまく付き合っていきたい。


 それにしても、敬語の現代語訳の煩わしいこと!