本の覚書

本と語学のはなし

枕草子「執筆のきっかけ?」


 半日かけて大がかりな雪かきをした。通常は前の道路の消雪パイプを利用して融雪するが、それで溶かしきれない分が敷地内にかなり溜まっていたので(水は降雪時にしか出ない仕組みになっている)、土方が使うような運搬用一輪車で近くの川まで捨てに行く。何十往復したかしれない。

 さて後ほど経て、心から思ひ乱るる事ありて、里にあるころ、めでたき紙、二十を包みて給はせたり。(中略)
 まことに、この紙を草子に作りなどもてさわぐに、むつかしき事もまぎるる心地して、をかしと心のうちにもおぼゆ。(259 御前にて人々とも、また物仰せらるるついでなどに

 そうして、そのあとしばらくたって、心の底から思い悩むことがあって、里にわたしがいるころ、すばらしい紙二十枚を包んで中宮様が御下賜になった。(中略)
 本当に、この紙を、草子に作りなどして騒いでいると、わずらわしいこともまぎれるような気持ちがして、おもしろいものだと心の中にも感じられる。


 この里居は137段*1と同じものとすれば、996年秋のことだろうという。道隆の死後定子ら子どもたちの勢力は弱まり、道長が幅を利かせるようになる。清少納言道長側の人間とみなされ、里に下がる。そんな折にも、紙さえあれば世の憂いも忘れて生きていくことができると言った清少納言のかつての言葉を覚えていて、定子は紙二十枚(草子に作ったくらいだから、小さな紙ではないようだ)を送ったのである。『枕草子』の第1次成立はこの時であるとも考えられている。
 さて、次の段は『枕草子』中、最も長い文章。小学館の全集版で20ページにわたる。おそらくこれが最後の山だろう。