本の覚書

本と語学のはなし

居酒屋「宴会は続く」

 Ces dames soufflaient, en regardant d’un air de regret le saladier. Clémence raconta qu’elle avait un jour avalé trois bottes de cresson à son déjeuner. Mme Putois était plus forte encore, elle prenait des têtes de romaine sans les éplucher ; elle les broutait comme ça, à la croque-au-sel. Toutes auraient vécu de salade, s’en seraient payé de baquets. Et, cette conversation aidant, ces dames finirent le saladier. (p.274)

 女たちは残念そうにサラダ鉢を見つめて、あえいでいた。クレマンスは、いつだったか昼食にオランダがらしを三束も食べた、と言った。ピュトワのおかみはもっとすごかった。あたしゃ、ちしゃのきれいにしてないのを頭から食べましたよ。塩だけつけてむしゃむしゃ食べたんです。女ってみんなサラダで生きているようなもんですよ、盥に何杯も買ってね。こういう話のおかげで、女たちはサラダ鉢をからにしてしまった。(p.299)


 マダム・ピュトワの話は大過去ではなく半過去であるから、いつもそうしているということで、現在形で訳すべきではないかと思う。「ちしゃ」はレタスの一種。その頭というのが何を意味しているか私にはよく分からないが、たぶん頭のように突き出た茎の部分を言うのではないだろうか。それを捨てずに生のまま塩で味付けするだけで食べるのだから、すごいということになるのだろう。
 その後の「女って」という一般化はどうだろう。「あたしたちゃみんな」という程度かも知れない。女性は全てその気になればそれだけで生きていけるほどにサラダに目がないというのであれば、宴会に参加している他の女性もみなサラダ鉢に群がるのではないかという気がする。


 それはともかく、『居酒屋』はようやく折り返し地点に到達した。今のペースだと夏の終わり頃にならないと読了しない。何とかしたいが何ともなりそうにない。次はフローベールスタンダールの予定。もしかしたらセリーヌかも。