本の覚書

本と語学のはなし

枕草子

世になき事ならねど、この草子を人の見るべきものと思はざりしかば、あやしき事も、にくき事も、ただ思ふ事を書かむと思ひしなり。(135 とりどころなきもの

世間にないことではないのだが、この草子を人が見るはずのものとも思わなかったので、変なことも、にくらしいことも、ただ自分が思うことを書こうと思って、書いたのだ。


 『枕草子』はいったん流布した後に、また清少納言本人によって手が加えられた、とも考えられている。この部分が改訂による追加かどうかは分からないが、そのせいで写本によって本文の異同が激しいのではないかと言うのである。


 『枕草子』の注釈には「不審」の文字をよく見かける。意味の取りにくい文章がたくさんあるのだ。
 当時の狭いサークル内では十分通じていたのに、今では何を言っているのか分からないこともあるだろう。伝承の過程で元の形が失われてしまった場合もあるだろう。だが、そもそも清少納言自身が、達意のとは言い難い不明瞭な文章もけっこう書き散らしたのではないかという気がする。あくまで私の推測でしかないけど。
 しかし、そういう部分は解説も充実しているので、かっこうの勉強の場となる。


 『枕草子』を読めば、当時の風俗、習慣、人物にも慣れ親しむし、敬語の知識も十分身につくし、写本の問題にも意識を向けさせられるし、「不審」の文字によって古典を読むとはどういうことか教えられる。
 たまたま小学館の現代語訳つき全集で持っていたから読んだに過ぎないけど、古典再開の1冊目として『枕草子』を手にしたのは運が良かったのではないか。