本の覚書

本と語学のはなし

青春は美わしと永平広録第三


 英語とフランス語と経済の他に何かを学ぶとすれば、一つだけに限定しておくのが賢明だろうと思う。


(1) 外国語なら断然ドイツ語だ。私は大学でドイツ文学を専攻していた。英語嫌いだったせいもあるが、当時は英語とドイツ語の力の差はほとんどないと感じていた。最近は等閑になっている。しかし、少し集中して取り組めば、現在の英仏並みには文学作品を読めるようになるだろう。
 ギリシア語ラテン語は現在の力で満足しておくべき。必要があれば調べることはできる。それで十分ではないか。どう頑張ってみても、今から古典を読みまくるなんていうことはできそうにない。
 中国語を基礎から学び直したくなることもある。これからは知っておいて損のない言語である。しかし、仕事に使うにしろ、趣味で文学や雑誌を読むにしろ、片手間の勉強でそこまで到達するのは至難の業だ。

Dort war der Laden des Buchhändlers, und obwohl der alte Herr mich vor Jahren in übeln Ruf gebracht, weil ich Heines Werke bei ihm bestellt hatte, ging ich doch hinein und kaufte einen Bleistift und eine Ansichtspostkarte. (p.20-21)

そこには本屋の店があった。その老主人は先年、私がハイネの作品を注文したので、私の悪評を立てたものだが、私ははいって行って、鉛筆と絵はがきを買った。(18頁)


(2) 道元は全集を購入していることだし、分量も手頃だし、外国語習得のような骨折りは必要ないし、継続しない手はない。ただ、毎日読んでいると単調で飽きてしまう。

【読】220飢えれば飡(くら)い渇すれば飲み、健なれば坐し、困ずれば眠る。直下に会得せば、此土、西天なり。(全集10,191-2頁)


(3) 哲学の原典を翻訳で読み進めるのも魅力的だが、一冊読み終えるのにすらどれほどの期間を要するのか見当もつかず、森の中で道を失ってしまいそうだ。時々レヴィナスを開いてみるが、いつも数日で放り投げてしまう。適性はないとそろそろ気づくべきである。


 一つに限定するのは難しい。現実的な折衷案として、暫らくドイツ文学と道元を交互に読んでみるというところに落ち着かせるべきか。