本の覚書

本と語学のはなし

真字『正法眼蔵』


 真字『正法眼蔵』を読んでいる。真字というのは、仮名に対して漢字で書かれているということだが、実はこれは道元の著作ではない。『宗門統要集』などから集めた三百の公案を並べただけで、コメントも何も付けていない。
 写本に二系統ありそれぞれ違う目的があったのだと推定されているが、第一義的には他の著作のための道元自身の手控えであったようだ。したがって、マニアックな研究をするつもりでない限り、一度目を通しておけば十分だろう。
 第18則を書き抜いておく。

【読】池州南泉普願禅師《馬祖に嗣ぐ》、因みに荘に至る。たまたま荘主、預備して迎奉す。師云く、「老僧、居常よのつねに出入するに、他のために知られず。何ぞはやくより排弁してかくのごとくなるに至るや」。主曰く、「昨夜、土地神どじじん相い報ず」。師曰く、「王老師、修業に力なくして、鬼神に覰見しょけんせらる」。侍者便ち問う、「既にこれ大善知識なり、なんためにか却りて鬼神に覰見せらる」。師曰く、「土地前にさらに一分の飯をけ」。


【訳】池州南泉山の普願禅師《馬祖に嗣ぐ》が、荘園に行った時のことである。たまたま荘主が前準備してお迎えした。南泉普願、「わしの日頃の出入りは、誰にも知られることがないのに、どうして早くもこのように支度したのか」。荘主、「昨夜、土地神が知らせました」。南泉、「王老師わたしの修業は無力なので、鬼神に垣間見られた」。そこで侍者が問うた、「あなたのような大善知識ともあろう人が、どうして鬼神などに垣間見られるのですか」。南泉、「土地神の前にさらに一椀の飯を供えよ」。(『全集14』112,3頁)