本の覚書

本と語学のはなし

The Republic


 生活に少しばかりの潤いを与えるには、たとえ何の役にも立たないにしろ、昔やっていた語学を復習する以上のことはない。
 ラテン語、ドイツ語と来たので、今日はいよいよギリシア語。アクセント記号と気息記号のせいで入力が大変だし、関心のある人はほとんどいないことは分かっているので、ギリシア語について語るのは孤独な営みなのだけど。


 引用は上から順にプラトン『国家』の原文、ロエーブの英訳、岩波文庫の藤沢令夫訳。

Ὅτι τοί σε, ἔφη, κορυζῶντα περιορᾷ καὶ οὐκ ἀπομύττει δεόμενον, ὅς γε αὐτῇ οὐδὲ πρόβατα οὐδὲ ποιμένα γιγνώσκεις. (343A)

“Because,” he said,“she lets her little ‘snotty’run about driveling and doesn’t wipe your face clean, though you need it badly, if she can’t get you know the difference between the shepherd and the sheep.” (上65頁)

「それはね」と彼は答えた、「あんたに乳母がいるのなら、そうやって鼻水をたらしているのをほったらかしておかないで、拭いてやったらよさそうなものだと思うからだよ。おかげで、あんたときたら、羊も羊飼いも見わけさえつかぬありさまではないか」(上64頁)


 ソクラテスとの問答の途中、トラシュマコスは質問に答える代りに、あんあたには乳母がいるのかとへんてこな質問をした。そして上に引用した言葉を継ぐのである。
 英訳と和訳を比べると、δεόμενον (deomenon)の扱いに大きな差があることが分かる。これは目的語(あんた=ソクラテス)と同格におかれた補語で(単なる付加形容詞ではない)、いろんな状況を含意しうる。英訳ではわざわざこれを節に置き換え、もともと δεόμενον の持っている動詞的意味をも引き出し、「though you need it badly」としている。一方和訳を見ると、それではあんまりうるさすぎると思ったのか、ほとんど δεόμενον などなかったかのようにさらりと訳している。それはそれで一つの見識だろうと思うが、一つの言葉が担った役割を(原文の形式にはこだわらずに)細大漏らさず写し取ろうとする英訳の貪欲さもまた、翻訳のヒントを大いに与えてくれるものだろう。