本の覚書

本と語学のはなし

『正法眼蔵(三)』 〔62〕


道元正法眼蔵(三)』(水野弥穂子校注,岩波文庫
 七十五巻本の「仏道」から「安居」までを収録。
 最終的に私に何が残るだろうかといったら、英語英文学、仏語仏文学、日本文学、ファイナンス、料理(いずれ必要に迫られるだろうから趣味にもしたい)、野菜作りもしくは園芸(家庭菜園の小さな畑をいずれ受け継がなくてはならない)、そして道元であろう。

大覚世尊すでに一代のあひだ、一夏も闕如(けつじょ)なく修証しましませり。しるべし、果上の仏証なりといふこと。(「安居」453頁)


 この部分、春日佑芳は解釈を省略しているので、森本和夫の『読解8』から引用しておく。

すでに大覚世尊(釈迦牟尼仏)は、一生の間、一回の夏安居も欠かすことなく修證されたのだ。悟りという結果を得た境地における仏としての證し立てなのだということを知るがよい。(8.270頁)


 「証上の修」あるいは「修証一等」ということ、道元が言っていることはただこれだけかもしれない。しかし、不思議と「道元はもう分かった」ということにしてしまえない。しばらく離れていても、また戻ってくる。一生これを続けるのだろう。

正法眼蔵〈3〉 (岩波文庫)

正法眼蔵〈3〉 (岩波文庫)

  • 作者:道元
  • 発売日: 1991/07/16
  • メディア: 文庫