本の覚書

本と語学のはなし

マルサの会


 昨日は5、6年前に徴税の部署にいた連中が集まり、昨年度末に定年まであと1年を残して退職した人のお祝いをした。
 今でもその部署にいるのは一人だけで、出席者の半数は私も含めてすでに退職している。なぜその時期の徴税吏員たちだけが、特別な結束力をもって集合するのか。地震と合併がいっぺんにやって来て、ぐうたらな公務員にとって最大の試練の時期を共に過ごしたというのは確かである。しかし、私には理解のできない世界である。
 昔の課長補佐から、今更ながら説教じみた小言を頂戴した。私の行動は、彼らの価値観を著しく傷付けるものであり、侮辱とすら受け取られかねないものだったのだろう。私はいつもの悪い癖で、相手の主張を全面的に受け入れ、いっさい反論せずにやり過ごす。私の住んでいる土地ではこれを「大人の対応」と呼ぶこともあるが、私はそんな言葉も嫌いだし、それを実践してしまう自分も嫌いだ。*1
 これで役所の人たちとの飲み会は終わりだろう。同期会の方は、先日別件で幹事役に会ったとき(休職中だというので、退職の相談をされるのかと心配をした人)、声をかけてもらう必要はないと言ってある。

*1:元課長補佐には、翻訳をするなら、表現力を磨き、文化の素養を積み、教養を身につける必要があるとのアドバイスももらった。それが私に欠けているものなのだろう。