本の覚書

本と語学のはなし

正法眼蔵


 「虚空」では石鞏(しゃくきょう)と西堂(せいどう)の問答が扱われる。おおよそこんな話だ。
 石鞏が「虚空をつかむことはできるか」と問うと、西堂はできると答え、空をつかむような動作をする。それを見た石鞏は、「分かってない」とばかり、西堂の鼻をつまんで引っ張る。あまりに痛いので、西堂は「鼻がもげてしまう」と叫ぶが、石鞏は平然として「こうでなくちゃ虚空はつかめないのだ」と言う。

 西堂作忍痛声曰、「太殺人、拽人鼻孔、直得脱去《西堂、忍痛の声を作(な)して曰く、「太殺人(たあさいじん)、人の鼻孔を拽(ひ)いて、直得脱去(じきてとつくゐ)す」》」。
 従来は人にあふとおもへども、たちまちに自己にあふことをえたり。しかあれども、染汚自己即不得《自己を染汚(ぜんわ)することは即ち得ず》なり、修己すべし。


 ここで、水野弥穂子は「直得脱去」の部分に「鼻がもげてしまう」と注釈を付けている。普通の解釈だろうと思う。以下は春日佑芳の解釈。

 西堂は、痛さをこらえながらいった、「なんとひどい男だ、ひとの鼻を引っぱるとは! でも、おかげで虚空を脱落することができた」。
 これは、従来は虚空(証)を見るとは、他人に逢うようなものと思っていたのに、いま鼻を引っぱられたとたんに、証の虚空に現成している自己に逢うことができた、というのである。しかしながら、その自己を証の世界にとどめて、これを汚してしまってはならない。自己を脱落して修行を続けねばならない。(6.204頁)